猫じじいのブログ

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神の呼び方がヘブライ語聖書の編集痕跡の指標になる?

2021-01-02 00:06:29 | 聖書物語

私には、細部にこだわる習性がある。E.オットーの『モーセ 歴史と伝説』(教文館)を読んで以来、神をどう呼んでいるかが気になって、ヘブライ語聖書をしらみつぶしに調べ始めた。

ヘブライ語聖書は39文書からなるが、それぞれは、イスラエル王国、ユダ王国が滅んだあと、政治的意図をもって、異なる集団によって、異なる時代に、書かれたものである。

神をどう呼んでいるかをしらべると、どういう集団がいつ関与したか、少しわかるのではと思ったからである。

ヘブライ語聖書(旧約聖書)で神を表わす語は3系統に分けられる。エル(אל)、エロヒム(אלהים)、ヤハウェ(יהוה)に分けられる。ヘブライ文字に母音記号ができたのは、紀元後10世紀なので、紀元前にどう発音していたかは、本当はわからない。

これらの語が組み合わせられてヘブライ語聖書にあらわれる。しかも、文書によって組み合わせ方が偏ってあらわれるので、ヘブライ語聖書の成立過程解明の助けになるかもしれない。

われながら、こだわりが強いと思うが、とにかく、時間をかけて一通り調べ終わった。私が調べた結果は、8285事例になった。もちろん、手違いがあると思うが。

エル、エロヒムは普通名詞なので、先頭に冠詞ハ(ה)がついたり、語尾に所有を表わす人称代名詞がついたりできる。ヤハウェは神の名(固有名詞)なので、冠詞や人称代名詞がつかない。(私が調べた結果では、ヤハウェに冠詞がついた語が『エレミヤ書』8章19節に1例あった。)

ヘブライ語のヤハウェを「主」と訳すのは、誤訳というより、確信犯的違訳である。「主人」にはヘブライ語のアドウン(אדון)が別にある。

「エロヒム」は複数形だが、ヤハウェを指していると思われるときは「神」と訳し、そうでないときは「神々」と訳するのが、日本語聖書の慣例である。「エロヒム」の単数形はエロウハ(אלוה)で、『ヨブ記』に集中的に現われる。

ヘブライ語聖書には、単語単位でカウントすれば、「ヤハウェ」が一番多く、6218カ所にあらわれる。しかし、ヤハウェもエルもエロヒムなども現れない文書が2つある。『雅歌』(ソロモンの歌)と『エステル記』である。

神が現れない文書が2つもあるとは、ヘブライ語聖書は宗教書というより、アレクサンダー大王の遠征以来の地中海時代に、ユダヤ人が自分たちの文化と歴史の古さを誇るための書であったと考えられる。

『コヒレトの言葉』では「ヤハウェ」という単語が現れない。

モーセの五書の『創世記』『出エジプト記』『レビ記』『民数記』『申命記』はそれぞれ特徴ある神の呼び名が現れる。

ヘブライ語の最初に置かれる『創世記』では、神がいろいろな言葉で呼ばれる。これは、『創世記』が作られる過程で、いろいろな集団によって書き加えられたことを示唆していると思う。

よく知られている通り、『創世記』には2つの人間創造の物語がある。1章1節から2章3節までは、神は単に「エロヒム(אלהים)」と記され、2章4節から3章23節まで「ヤハウェ・エロヒム(יהוה אלהים)」が使われる。ただし、3章1-5節にふたたび「エロヒム」が使われる。「ヤハウェ・エロヒム」は、モーセの五書では『出エジプト記』の1例を除いては、上記の範囲にしか現れない。

『出エジプト記』9章30節に「ヤハウェ・エロヒム」が現れるが、その前後では単に「ヤハウェ」と神を呼んでいるから、9章30節は後からの挿入である。

「ヤハウェ・エロヒム」は『サムエル記下』、『列王記下』、『エレミヤ書』、『ヨナ書』でそれぞれ1例づつ、『詩編』で3例、『歴代誌上』、『歴代誌下』でそれぞれ4例づつである。「ヤハウェ・エロヒム」は一般的な神の呼び名ではない。

『申命記』では「わたしの神ヤハウェ」「あなたの神ヤハウェ」「我々の神の神ヤハウェ」「あなたがたの神ヤハウェ」が頻繁に現われる。ヘブライ語で順番にしるすと、つぎのようになる。
 ヤハウェ・エロハイ(יהוה אלהי)
 ヤハウェ・エロヘカ(יהוה אלהיך)
 ヤハウェ・エロヘヌゥ(יהוה אלהינו)
 ヤハウェ・エロヘケム(יהוה אלהיכם)
『創世記』『出エジプト記』『レビ記』『民数記』ではこれらの言葉が現れない。

冠詞ハ(ה)が一般名詞の神につく表現は、『創世記』『出エジプト記』『士師記』『列王記』『歴代誌』『コヘレトの言葉』によく現れる。

特徴的なのは、日本語で「万軍の主」と訳される「ヤハウェ・ツァバオウト(יהוה צבאות)」である。これは、モーセの五書には出てこないが、『イザヤ書』『エレミヤ書』や十二小預言書に頻繁にでてくる言葉である。モーセ五書とその他を区分する語となる。

「ツァバオウト(יצבאות)」は兵士の集まり、軍隊という意味である。モーセの五書を創作・編集した人たちは、ヤハウェを戦争の神と見られることを望んでいなかったかもしれない。

「アドナイ・ヤハウェ(אדני יהוה)」も特徴的で、『エゼキエル書』に集中的現れる。『出エジプト記』『レビ記』『民数記』には現れない。「アドナイ」は「私のアドウン」で、「ヤハウェ、私の主」という意味である。