加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫)は、『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』(朝日出版社)より、ずっと読みやすい。
『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』は、日清戦争から書きはじめているのに対して、『戦争まで』は満州事変から書きはじめ、1941年の日米戦争に話を絞っているからだ。すなわち、『戦争まで』は『それでも……』を読んでいることを無意識に前提にしているからだ。
加藤陽子の『戦争まで』で、私が理解に苦しんだ言葉は つぎである。
〈戦争とは、相手方の権力の正当性原理である憲法を攻撃目標とする。戦争は、主権や社会契約に対する攻撃であり、敵対する国家の憲法に対する攻撃という形をとるものだ〉
この意味が本当に私はわからなかった。彼女は、ここでの「憲法」とは「具体的な憲法の条文ではなく、社会を成り立たせている基本的秩序、憲法原理」と説明を付け加えているが、それでも、わからなかった。
(もっとも、これは、加藤のことばなのか、憲法学者の長谷部恭男のことばなのか、ジャン=ジャック・ルソーのことばなのか、今もわかっていないが。)
『それでも……』を読むと、「戦争とは……」の文は、日本が無条件降伏をするまでアメリカが戦争をつづけたことに対する理屈になっている。そして、明示的には言っていないが、戦後、アメリカが東京裁判で「戦犯」を裁く理屈にもなっている。
これは、イギリスとアメリカが徹底的にドイツを破壊し、ヒットラーを自殺に追い込み、ナチスを裁いたことと通じる。
すなわち、「大空襲」「広島・長崎」「東京裁判」「日本国憲法」はセットになっていると、加藤陽子が考えているようだ。
右翼もそう考えている。だから、彼らは、靖国神社を参拝し、日本国憲法の改正を唱える。
加藤陽子がこの「戦争の本質」をわかっていて、改憲に賛成しないから、右翼から「裏切り者」と見なされたのだ。だから、菅義偉が、彼女を日本学術会議会員に任命しなかったのだ。
さて、戦後、アメリカが変えた「日本の憲法原理」は「国体」であると、加藤陽子が言っている。大日本帝国憲法の第1条「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」と第4条「天皇は国の元首にして統治権を総攬しこの憲法の条規によりこれを行う」が「国体」であると彼女はいう。
自民党に巣食う改憲論は、戦争ができる国にすること、国のトップが絶対的権力を行使できるようにすることであるから、戦前の「国体」に戻ることではなく、ナチスのような体制を日本に築くことのようである。したがって、戦前の革新右翼が自民党の中で生き続けたのだと私は考える。また、こう考えると、安倍晋三や菅義偉が「統制経済」を好む理由がわかる。
だから、アメリカやイギリス風の個人主義にもとづく国のあり方を良しとする加藤陽子がゆるせない存在なのだろう。
そう考えると、「叩き上げ」の菅義偉の「学術会議任命拒否問題」があやふやにされることは、日本の民主主義にとって決して良いことではない。