猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

佐藤優の「優」はなんと読むのか、「ゆう」「すぐる」「まさる」?

2021-11-05 13:49:02 | 思想

私の「ひきこもり」の息子が池上彰・佐藤優の『真説日本左翼史 戦後左派の源流1945-1960』(講談社現代新書)が面白いと言う。300円はらって電子書籍で、一晩中読んだと言う。

ひぇー、そんなのものかと私は思った。

佐藤優の『神学部とは何か』(新教出版社)は面白かった。しかし、彼の他の著作は私には面白くなかった。

『神学部とは何か』には、彼の学生時代の同志社大学神学部の穏やかで幸せな日々が伺えるからである。当時、神学部は学生らによってロックアウトされていたのである。いわゆる学園闘争の名残りである。にもかかわらず、教職者と普通に交流ができているのだ。ロックアウトらしいところは、キリスト教のシンボルの魚を壁に落書きし、ときたま、哲学科の学生たちと言い争うのだ。ロックアウトと言いながら学生の部室みたいものがあっただけであろう。

しかし、そのことより、息子との会話を通じて佐藤優の「優」は、なんと読むのか気になった。「優」は「ゆう」なのか「すぐる」なのか。早速、ウィキペディアで調べた。「まさる」が正解なのだ。

「ゆう」は優しい響きがある。女の子にも男の子にもつけておかしくない。「すぐる」は「すぐれた作品」「すぐれたアート」と秀でたと感じで、「ゆう」についで、名前としてありうる。しかし、「まさる」とは思わなかった。「まさる」は「勝る」ともかく。「優劣」のように他人と比較するときに使う言葉である。ひぇー。

ウィキペディアでは、佐藤優の肩書が「作家」になっている。これは本人の意思なのか。たしかに「もの書き」であるが、私からみると、「宗教研究家」「哲学者」「現代史研究家」であるように思える。知識人の業界に属していないから、素人扱いをしていないか、と不愉快に思った。

ウィキペディアによれば、佐藤優は私の12歳下である。

彼は、埼玉県立の高校時代に、ハンガリー、チェコスロバキア、東ドイツ、ポーランドとソ連(ロシア)に一人旅している。そればかり、高校で社会主義青年同盟(社青同)に入っている。その行動力にびっくりする。

私など思いつかないことばかりだ。私は、田舎の高校にいて、新聞部に入り、絵画クラブを創り、生徒会の会長も務めたが、みんなで遊ぶことばかりに熱中していた。埼玉県と異なり、男女共学で、フォークダンスにも私は熱中していた。マッチョぶるのは、高校に下駄やゴム草履で通い、テストのとき白紙答案を提出するぐらいだった。

私の息子が、池上彰・佐藤優の『真説日本左翼史』を面白がるのは、左翼の選択肢がいまよりずっと広かった時代1945-1960年を描いているからだ。私の学生時代、1965-1970年も選択肢が広かった。社会党が存在した。共産党と新左翼のいがみあいがあったが、私の周りでは共存していた。毛沢東の文化大革命がちょっとオカシイという話しを私がはじめて聞いたのは、数学科の革マル派の院生と共産同の学生が将棋を指しているときの会話である。

左翼とは、人の上に人がいることの否定である。権威主義への反対である。百花繚乱のように色々な考えが咲きほこるのが、あたりまえであった。

左翼の選択肢が狭まったいまの若い人たちが可哀そうである。