猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

社会保障や社会福祉が争点とならなかった今回の衆院選

2021-11-09 22:20:25 | 思想

日本はゆたかな社会になったのか。

いまでは、熱い夏がやってくると、我慢しないでクーラーをいれなさいと、テレビで言っている。私の学生時代には、普通の家庭には、クーラーなんてなかった。結婚したとき、扇風機を買った。夏の暑さを扇風機でしのいだ。

その前の子ども時代は、冷蔵庫がなかった。電気釜(炊飯器)もなかった。洗濯機もなかった。湯沸かし器もなかった。東京にでてきてはじめて湯沸かし器をみた。

私の母は、雪の降る北陸の地なのに、冬でも、たらいで洗濯していた。近くの酒店で氷を売っていた。夏になると、氷を買ってきて私の父がかんなで削ってくれて、みんなでカキ氷を食べた。かまどがあってそこでご飯を炊いていた。私も朝目覚めると、かまどに木をくべるのを手伝った。冬のかまどの火は美しかった。中学の頃になると、ガス釜になり、母が楽になったと言った。

確かに、生活水準があがったと思う。

私が結婚したとき、電気釜と洗濯機を買った。それから小さな冷蔵庫を買った。

J.K. ガルブレイスは、『ゆたかな社会 決定版』(岩波現代文庫)で、アメリカ社会がゆたかになったのは、ごく最近のことで、ついちょっと前まで、ほとんどの人びとが貧しかったこと、餓えていたことをみんなが忘れているという。そして、いまでも、貧困に苦しんでいる人びとがいることに気づかないという。

日本も「ゆたかな社会」になったのかもしれない。しかし、いまも貧困に苦しんでいる人たちがいるのに、そのことに気づかない。そして、貧困でないとしても、いつなんどき、貧困のなかに落ち込むかもしれない中で、多くの人びとが暮らしている。

10年数年前のリーマンショックのとき、かなりの人びとが解雇の不安に直面した。そして、幾人かは解雇された。私は解雇された親の子どもが不安の中で言葉を失ったのを知っている。そのことを忘れたのか。

このコロナ禍のなかでも、非正規で雇われている人びとが職を失っている。レストランに務めていたシングルマザーの私の姪も職を失った。いま、住の危機におびやかされている。きのう行った床屋の親父は、コロナで失った客がいまだに戻らなく、赤字が続いているので、店を閉じないといけない、と嘆いていた。

自分が職を失わなかったから、それでいいのか。

世の中に、運、不運というものがある。「ゆたかな社会」こそ、運、不運に人生を振り回されないように、社会保障がいる、とガルブレイスは言う。私たちの社会は昔よりはゆたかになっているのだ。ゆたかになったのだから、もう少し気前がよくなっていいのではないか。他人を蹴落としてまでゼイタクする必要があるのか。

2か月前、せっかく、自助か共助か公助かで、盛り上がり、菅義偉が自民党総裁を辞任したのに、今回の選挙で、社会保障や社会福祉が争点にならないのは、なぜだろう。マスメディアが私たちを裏切ったのであろうか。政争、政局としてしか、政治が論じられないのはなぜだろうか。