猫じじいのブログ

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アナキズムと民主主義とは同一で、キリスト教の遺産なのだ

2021-02-02 01:46:36 | 民主主義、共産主義、社会主義
 
けさ(2月1日)の朝日新聞に『(文化の扉)見直されるアナキズム 分断の社会批判、「一丸でバラバラに生きろ」』という記事があった。この記事は、つぎではじまる。
 
〈反逆と暴力とユートピア。そんなイメージが強かったアナキズムが、再発見されている。〉
 
しかし、この書き出しのわりには、具体性の欠けたものであった。
 
私は、アナーキー(anarchy)をエイブラハム・リンカーンの「人民の、人民による、人民のための政治 (government of the people, by the people, for the people)」だと思っている。アナキズムこそ民主主義(democracy)だと思っている。したがって、政府(government)は国民へのサービス機関であって統治機関ではないと私は考える。
 
17世紀のトマス・ホッブズは『リヴァイアサン』で、主権者が誰かで政治体制を3つに分類した。“monarchy”、“oligarchy”、“anarchy”である。順に、主権者が、ひとり、少数の人からなる集団、上が誰もいない全員となる。
 
“archy”は「かしら」とか「トップ」という意味のギリシア語からくる。 “monarchy”には“mono”がつくから「トップ」が ただひとりの政治体制である。「君主政」という訳語より、「独裁政」が適当であろう。この言葉を嫌うものは“tyranny”(専制政治)と呼ぶと、ホッブズはいう。
 
“oligarchy”の“oligo”はギリシア語で「少数」という意味である。日本語では「寡頭政治」と訳されている。これをホッブズは“aristocracy”とも呼ぶとしている。日本ではこの“aristocracy”を「貴族政」とも訳すが、古代ギリシアのプラトンは「優秀者政治」という意味で使っている。
 
“anachy”の“an”は否定詞で上下関係(支配―被支配)のない政治体制を意味する。まさに「人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」である。日本語では「無政府主義」と訳されている。これをホッブズは“democracy”(民主政)とも呼ぶとしている。“demo”はギリシア語“δῆμος”からきて、「大衆」とか「下層民」という意味である。古代ローマ帝国でこれに当たるのがプロレタリアートである。
 
M. I. フィンリーは『民主主義 古代と現代』(講談社学術文庫)で、200年にわたって古代アテナイで民主政が続いたという。政府も、統治者もいなかったという。プラトンの嫌う文字も読めない大工や革職人や農民が集まる民会(ἐκκλησία、エクレーシア)で政治決定がなされた。
 
このエクレーシアは、ギリシア語新約聖書(原本である)で、「キリスト教徒の集会」という意味で使われる。日本語新約聖書では「教会」と訳しているが、意図的な誤訳である。
 
プラトンと同じく、19世紀の哲学者フリードリヒ・ニーチェは、大衆を、民主主義を嫌った。ニーチェは、『善悪の彼岸』(岩波文庫)でつぎのようにいう。
 
〈民主主義の運動(die demokratische Bewegung)はキリスト教の運動の遺産なのだ。しかし、そのテンポが人並みに以上の短気者や、上述の本能の病人だの狂人にとってなお遥かに遅すぎ、眠気を催させるものだということは、いまやヨーロッパ文化の裏町を彷徨う無政府主義者の狗ども(der Anarchisten-Hunde)がいよいよ暴れ狂って吠え立て、いよいよあらわに歯をむき出しているのを見ればわかることだ。(略)(これが進むと、「主人」と「奴隷」という概念をすらも拒斥するに至る――《神もなく、主もなし》というのが1つの社会主義的方式だ――)。〉(断章202)
 
ニーチェは、民主主義だけでなく、キリスト教、科学をも嫌った。
 
19世紀のヨーロッパで、大衆を政治に巻きこむようになったのは、ナポレオンの成功をまねて、国民を戦争に総動員するためであった。
 
また、ニーチェが民主主義、アナキズムをキリスト教の遺産としたのは、根拠がある。新約聖書の『マルコ福音書』10章42-44節につぎのようにある。
 
〈あなたがたも知っているように、諸民族の支配者と見なされている人々がその上に君臨し、また、偉い人たちが権力を振るっている。〉 
〈しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者となり、〉 
〈あなたがたの中で、頭になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。〉
 
すなわち、もともとのキリスト教では、エクレーシアは「教会」ではなく「上下のない集会」であったのである。
 
アナキズムは共産主義(共同体主義)と同じく 長く はぐくまれてきた人間の理想である。
 
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