深井智朗氏の著書『ヴァイマールの聖なる政治的精神』(岩波書店)に、「引用した論文とその著者の捏造がある」と認定し、東洋英和女学院が著者を懲戒解雇処分とし、岩波書店が著書の出荷を停止した。
私は、この懲戒解雇処分・出荷停止を言論の自由、出版の自由への侵害だ、と思う。『ヴァイマールの聖なる政治的精神』が図書館で読めなくなることを恐れる。
本に誤りがあったって、いいじゃないか。そんなものは珍しくない。
物理学の有名な教科書でも、ミスプリントでない間違いがある。たとえば、論理に誤りがあり、重要な現象の起きうることを見落としているとか、あるいは、他人の論文を読んでいて結論はあっていても、著者の証明には誤りがあるとか。私も、若いとき、ずいぶん、見つけたものだ。
本の誤りをみつけることは、新しい発見につながる。
だからと言って、誰も、その本を図書館から追放しようとは思わない。歴史的価値があるからだ。本の追放はあってはならない。
現代では、論文を書くことがビジネスになっているので、意図的な偽造もでてくる。ただし、意図的か、単なる誤りかの判断は難しい。物理学では、みんな新発見をして、職を得たいと思っているので、焦って、チェック不十分で論文を書く。
物理学界では、1960年代の重力波検出、1980年代の低温核融合発見は、意図的な偽造とはみなされていない。単なる検証不十分とされている。しかし、検証不十分は、追試できないことによる、結果論である。追試ができれば、これらの著者は先駆者になる。
最近出版された『生命科学クライシス―新薬開発の危ない現場』(白揚社)は、生命科学分野の論文が新薬開発と結びついていて、追試の成功しない論文が増えていると指摘している。「増えている」ということは非難に値するが、論文の著者を懲戒解雇処分すべきとは言えない。
すなわち、追試ができない論文を指摘することや、本の誤りを指摘することは、真実を求める気持ちからくるもので、支持できる。
しかし、懲戒解雇処分や出版停止となると、私は反対せざるをえない。多様性に対する寛容なこころがない。
とくに、深井智明は、プロテスタンティズムを一歩引いて客観的に見ようとする、日本で数少ない、宗教学者である。ヨーロッパでは、ミル、ラッセルのように、カルヴァン主義(Calvinism)を批判する哲学者は少なくないが、日本では大塚学派のようにカルヴァン主義こそ正当なプロテスタンティズムとする者が多い。思想の多様性という観点から、深井智明は、必要不可欠の逸材である。
とくに、『ヴァイマールの聖なる政治的精神』は、私の興味あるテーマを扱っている。
ナチスが政権をとるまでの第1次世界大戦後のドイツの政治体制をヴァイマール体制と呼ぶ。
19世紀の終わりからドイツでは、ルター派のなかに自由主義神学が起きた。第1次世界大戦でドイツが敗北することで、自由主義神学は打撃をこうむった。第2次世界大戦で再びドイツが敗北することで、自由主義神学が壊滅した。それとともに、プロテスタント系の教会に信者が戻ってこなかった。
これが、なぜかである。
本というものは、1つの考え方を示すものであり、その一部に誤りがあるからといって、排除すべきではない。また、著者を懲戒解雇処分にすべきでない。思想の多様性は未来のために必要なのだ。