世の中は多様なのである。多様で良いではないか。
ブドウだって、甘いブドウばかりだと、つまらないではないか。
肉の焼き具合だって、レア、ミディアム、ウェルダンと聞かれるではないか。
私も、肉の焼き具合で失敗談がある。
退職する前のことだが、東京の郊外の田舎町の開発ラボに、米国から大事なお客さん2人を招いて、自分の開発した新技術をプレゼンした。そのあと、近くの最上級のレストランに招待した。シェフもはりきってローストビーフを用意した。これがいけなかった。ローストビーフは前もって用意するから、レア、ミディアム、ウェルダンと聞かない。血の滴るローストビーフをシェフは意気揚揚と出してきた。2人とも手をつけなかった。気まずい空気が流れてしまった。
旧約聖書では血の滴る肉は食べてはいけないとされる。旧約聖書のサムエル記上14章では、ヨナタンの兵士たちはペリシテの人との戦いで疲れ、戦利品の羊、牛、子牛を、血を含んだまま食べたとある。ヨナタンはイスラエル初代の王サウルの子である。このためヨナタンはイスラエルの神に見放され、ダビデの兵士に殺される運命を背負う。(もっともこれはダビデ側の歪曲くさいが。)
血の滴るローストビーフの実態は肉汁かもしれない。しかし、旧約聖書が影響力をもつキリスト教やイスラム教の世界の客には、レア、ミディアム、ウェルダンと聞くのがよい。白身魚の刺身とは問題が異なる。
お酒も注意がいる。新聞に「飲ミュニケーション」という言葉がのっていたが、お酒を飲まない考え方もある。
昔、カナダでアイリッシュ系の教授のもとで働いていたとき、私があまりにも話さないので、教授は、私がウツではないかと心配し、毎日、夕方になると大学のビアホールに誘った。ある日、研究室のアイリッシュ系学生に、あの教授は異常で、アイリッシュはお酒を日常的には飲まなく、祭日だけに飲むものだと注意された。
日本に戻って会社にいたとき、ドイツ系米国人(女性)を会社に招いた。わたしの同僚は、ドイツ人がビール好きだという思い込みが強く、お酒を飲むように強要したので、その米国人はとても怒っていた。
米国には禁酒法の歴史がある。禁酒は宗教上の掟ではなく、飲んで理性を失い暴れる男どもが嫌いだからである。あのヒットラーだって、ビアホールで演説し、ビアホールの無法どもをひきいてのし上がってきたではないか。お酒は注意がいる。お酒には無法者のイメージがある。
[補足] アイリッシュ系とは、アイルランドからの移民と考えてもよいが、ケルト語を話す民の末裔だと意識している人々である。教師に、学校でケルト語を話したと殴られ、「ケルト語を話した」という板を胸につけ教室で立たされた親や祖父母の記憶を共有している。聖パトリックの祝日には、緑のものを身につける。
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