あす4月11日から図書館が完全に閉じられるという。これまでは、閲覧ができないだけで、図書館で予約した本を受けとることができた。これもできなくなる。近所の本屋までが、デパートやショッピングモールにあるので閉じられる。
閉じられるのは図書館だけでなく、美術館や博物館もである。社会の文化機能は、緊急事態ではいらないと政治家が考えているのだろう。これから、ネットが唯一の文化との接触点になる。こういうとき、国会図書館のデジタル化した書籍が無料で読めるといいのだが。また、各学会もデジタル化したジャーナルを公開してくれると、うれしいのだが。
新型コロナ感染症対策で、美容院を閉じるか、居酒屋を閉じるか、と日常生活の消費の面ばかりが、メディアで論議されているが、ヒトとヒトとの接触を生む最も大きな要因は、人間が生きるために働くからである。
だから、ヒトとヒトとの接触を8割減らすなんて、働くことをやめなければ、到達できないのだ。
しかし、社会を維持するために、閉じることのできない業種がいっぱいある。
電気やガスが止まったら都市生活が破綻する。スーパなどの棚から食料品がなくなったら、われわれは飢え死にする。インフラの保守、物流、食料生産はどうしても必要である。これらに携わっている人たちの健康を、どうやって政府は保障するのだろうか。集団免疫をおし進めるスウェーデンでも、社会の崩壊を防ぐための業種の人たちのPCR検査を優先させて行ってきた。日本政府はどういう施策を行っているのだろうか。
私の引きこもりの息子はアマゾンやヨドバシカメラなどのネット通信販売を利用している。社会システムとしては、ネット通信販売は、店頭販売とくらべ、非効率的で、物流の人たちに負担をかけている。申し訳なく思っている。
必要なものを店頭販売で買えるのが望ましい社会である。
きょうは、私の糖尿病検診の日である。私は、糖尿病のうえ、冠動脈にステントを3個いれている高齢者である。病院に行くと、ヒトが普段の半分ぐらいである。医療は、別に、新型コロナの感染者だけが必要としているのではない。私は、狭心症でひっくりかえり、救急車で病院に担ぎ込まれるかもしれない。新型コロナに対する恐怖から、緊急医療を拒否されるようになるかもしれない。
医療システムも現在の社会を支えるインフラの一部である。
いっぽう、いま、オンライン飲み会をNHKテレビで報道している。飲まないと維持できない社会は狂っているのではないか。60歳で会社を退職してから、私は飲むことをやめてる。
私は博士号をとった後、日本での職がなくて、カナダに渡った。私を雇った教授は飲むことで人間関係を築くというタイプだったが、大学で、人生の選択として飲むことを拒否する人たちが結構いると知った。アメリカで禁酒法があったのは、別に宗教的な理由でない。男たちが飲んで喧嘩するのを嫌う女たちが、禁酒を社会に求めたからという。
私は別に酒が飲めない体質ではない。しかし、生きるために酒は不要である。酒やたばこをやめると生活に使えるお金の額が増える。絶対におすすめする。
会社で宴会をする必要はない。飲まなければ本音が言えないというのはウソだ。私が会社にいたとき、私と私の部下がもめているのを見て、上司が飲みにつれていけと言った。酒を一緒に飲むというのは、単に丸めこむ手段にすぎない。酒を一緒に飲むことで安心する人間は個人が確立していないからだ。酒をのまなくても、自分を主張できるべきである。
しかし、もっと問題なのは、日本には接待の慣習があることだ。
私のいた外資系の会社では、接待はビジネス倫理規定に違反する。してはならない行為である。私の大学時代の同期生が富士通の課長になったとき、使途の問われぬ接待費をもっているから、久しぶりにあったみんなの飲み代を出すと言った。
さて、キャバレーやナイトクラブが存続できるのは、会社のお金で利用できるからだ。それは接待という慣習があるからだ。新型コロナの休業補償に、キャバレーやナイトクラブがはいっているが、こんな業種は社会にいらない。つぶれてしまえ。
新型コロナ感染症対策専門会議は、ヒトビトの行動変容が必要だという。この際、会社の仕事が本当に必要であるかどうかを考え直したらよいと思う。働いているフリをしているだけの仕事が多いのではないか。営業職だからテレワークはできないというが、営業職は相手の会社に本当の利益を与えているのか、単に相手とつるんで会社のお金を盗んではいないか。
私のいた会社は外資系だから、キックバックはビジネス倫理規定に違反する。ところが、日本の会社の従業員はキックバックするし、キックバックを求める。おかしな社会慣習はやめるべきである。
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