猫じじいのブログ

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聖書になぜか残された、奇怪なイメージと怒りに満ち溢れた黙示録

2021-04-25 23:10:34 | 聖書物語


バート・D.アーマンの『破綻した神キリスト』(柏書房)の原題は“God’s Problem”、その副題は“How the Bible Fails to Answer Our Most Important Question — Why We Suffer”である。すなわち、「我々がなぜ苦しむのか、という最も大事な問いに、なんと聖書は答えられていない」が副題である。

アーマンの問題提起は、「神は全能である」「神は愛である」「この世には苦しみがある」を同時に「真」とはできないということである。そして、この世には「苦しみ」がある。

よく分からないのは、その苦しみは彼自身に起きたことなのだろうか、ということである。もっとも私がそう思うことは「不謹慎」なのかもしれない。

地震や津波で 突然 死に直面する。新型コロナにかかると、1%以上の人が苦しんで死ぬ。ミャンマーで軍事政権によって人が殺されている。ウイグルの人が強制収容上に入れられる。アーマンは、これらを「苦しみ」と言っている。

アーマンにとって、どうも、彼の「苦しみ」は心の状態ではないように思える。彼は、人を「苦しむ」かもしれない状態に置くこと自体がいけないといっているようだ。だとすると、「この世に苦しみがある」というのは事実である。

「宗教家」としてできることは、慰めることだけである。アーマンは牧師だった。当然、無力感に襲われる。客観的な事実の「苦しみ」を軽減するには、医療従事者や福祉従事者や政治家の力に頼らざるをえない。

私自身についていえば、家族の問題で悩んだとき、色々な人にうったえたが、慰めの言葉をもらえなかった。全身できもので苦しむ『ヨブ』の主人公のように、「あなたは悪くない」という言葉も 誰からも もらえなかった。

そうなんだ、苦しむ人の心を慰める人は少なく、あなたは会うことができないかもしれない。慰める人はもっともっと必要なのだ。

アーマンは彼の本の最後に、聖書の黙示録について、なぜか論じている。1つは、『ダニエル書』の7章以降である。もう1つは『ヨハネの黙示録』である。「黙示」とは、神からの幻視のことである。ありありと心に浮かぶイメージのことだ。

『ダニエル書』の7章は、つぎのように始まる。

《ダニエルは夢を見た。それは寝床で頭に浮かんだ幻であった。彼はその夢を書き記し、概要を次のように語った。》(聖書協会共同訳)

『ヨハネの黙示』は、つぎのように始まる。

《イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。 ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。》(聖書協会共同訳)

黙示録の特徴は、奇怪なイメージで怒りを表現していることである。どうしようもない怒りを読み手にぶつけている。黙示録が聖書の中に残ったのは、人は怒ると苦しみが和らぐから、と思う。

『ヨハネの黙示録』では、おどろおどろしいイメージだけでなく、天使がラッパ(角笛だと思う)を吹くたびにバッタバッタと人が死ぬ。

《第三の天使がラッパを吹いた。すると、松明のように燃えている大きな星が、天から降って来て、川という川の三分の一と、その水源の上に落ちた。この星の名は「苦よもぎ」と言い、水の三分の一が苦よもぎのように苦くなって、そのために多くの人が死んでしまった。》『ヨハネの黙示録』8章10-11節、聖書協会共同訳

これを、フョードル・ドストエフスキーは、『カラマーゾフの兄弟』の大審問官の節に、イエス再臨の舞台設定として引用した。

戦前、国を批判し東京大学を追放になった矢内原忠雄が、戦前戦中、国家権力との孤独な戦いのなかで、『ヨハネの黙示録』に大きく支えられたことが知られている。戦後、彼は復職し、東京大学総長になった。

A.R.ホックシールドは『壁の向こうの住人たち アメリカの右派を覆う怒りと嘆き』 (岩波書店)で、ルイジアナ州南西部で、大企業の環境破壊で、これまでの素朴な生活から追いたてられる住民の気持ちを、つぎのように書いている。

《携挙〔キリストが地上に再臨し、信者を天国に運び去ること〕の到来を信じていて、「終末のとき」のことを話した。黙示録の言葉を引用し、「大地がすさまじい熱に焼かれるんですよ」と説明する。火には浄化する力がある。だから千年後に、地球は浄化される。それまではサタンが暴れまわるのだそうだ。エデンの園には、「環境を傷つけるものは何もありません。神がご自分の手で修復なさるまでは、神が最初に創造なさったとおりのバイユーを見ることはできないでしょう。でもその日はもうすぐやってきます。だから人がどんなに破壊しようとかまわないんですよ。」》

《アレノ夫妻やそのほかの人々と同様、マドンナも携挙を信じていた。聖書によれば、そのときには「大地がうめく」のだと、彼女は言う。「竜巻、洪水、雨、吹雪、争いが起こって、大地がうめくのよ」と。ヨハネの黙示録と旧約聖書のダニエル書の言葉から、マドンナは今後千年のうちに、信心するものが重力から解き放たれて天国へ上り、不信心者が「地獄」とかした地上に取り残される日が来ると信じているのだ(黙示録20:4-20、ダニエル章9:23-27)。彼女の説明によると、携挙の後、世界は滅びるが、やがてキリストが新たな世界を作り、また平和な世界が千年続くのだという。》

「黙示録」は、圧倒的な暴力の前で、怒っている無力な人びとの慰めになるが、確かに慰めだけではいけない場合が、アーマンの言うようにあるのだ。



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