きょうの朝日新聞に宇野重規が担当して2回目になる『論壇時評』がのった。今回の彼の時評対象は、いま お騒がせ中の生成AIである。読んで妙に納得感があった。
私はIBMの子会社、日本IBMに務めて 3回 AIのブームに遭遇している。そして、私の務める前にもAIブームがあった。だから、私から見れば、現在のAIブームは5度目である。だから、たいしたことでないのに、何を大騒ぎしているのか、と思ってしまう。
宇野も、「気になる」が、みんなが大騒ぎするほどのことでもないと思っているようだ。
何年か前に、YouTubeで1927年のドイツの映画『メトロポリス』を見たとき、帳簿をつけてお金を勘定することが、知的な労働とされていることに驚いた。映画のテーマは、未来都市メトロポリスで、地上に住む知的な労働者(HIRN脳)と地下に住む肉体労働者(HÄDEN手)が仲介者(HERZハート)によって仲良くなるというものである。
帳簿をつけて勘定することなど、だいじな仕事かもしれないが、機械的な単純作業である。それなのに、100年前は、知的な業務としていたのである。
宇野はつぎのように書く。
「会議の議事録やメールの文面作りも可能で、現在、人間がやっている仕事のかなりの部分を代替することになる。医療や法律関係など高収入の職業にも影響があり、……」
「判例などの大量のデータを活用して法律家の業務を支えることは充分に可能であろう。」
現在、人のやっている知的であろうと思われていることは、じつは機械的な作業であることが多い。AIによって、医療従事者や法務関係者がいらなくなることではなく、高い給料をとるということができなくなるだけである。AIによって「民主化」が進むことは望ましいことである。AIによって、医療費が削減され、多くの人に高度の医療が行き渡ることは良いことではないか。
宇野はつぎのように結論する。
「新たなテクノロジーを恐れるだけでは、問題は解決しない。「わたし」はどこにいるのか。「わたし」と「わたし」でないものを区別できるのか。人はいったい何を信じればいいのか。人間にとっての「意味」を再考する好機としたい。」
大したことのない生成AIに大騒ぎしないとともに、大したことをしていない「高級労働者(エリート)」が反省する「好機」として欲しい。
今のAIはあくまで単純なことしかできない。バカなのである。しかも間違いをしでかす。しかし、IT関係者は、何か素晴らしいことができるかのように、意図的にウソをつく。ITバブルが崩壊した2000年ごろからその傾向は強まった。
しかし、人間のやっていることも、ほとんどがバカなことしかしていない。なのに、社会的地位や待遇に格差がある。格差があることは、おかしいのだ。徹底的に民主化しなければならない。宇野が「民主化」とは「平等化」と発見したが、この「平等」とは「対等」という意味である。
宇野は、生成AI が誤りをしでかすだけでなく、「生成AIのポリシーやアルゴリズム次第で言論空間が大きくゆがめられ、国家の命運も左右される」という。
「国家」は不要なもので死滅すればよいが、個人の生活が左右されるのは、困る。「独裁国家」だけが危険なのではない。資本主義社会の枠組み自体が危険なのだ。儲けることを目的化している。いま、IT会社は自己利益の拡大のために研究開発を行っている。あるいは、研究開発を行っているフリをしている。
ソフトバンクの宮川社長は和製のチャットGPTの立ち上げに1000人を選んだという。株価対策のため、やっているフリをしているだけであろう。
「民主化」というた立場からは、「研究開発」の中身をオープンにしてもらわないといけない。また、テクノロジーの適用範囲に倫理的観点から制限していかないといけない。この観点からすると、現在の日本政府のやっているIT政策は、お金儲けしかない、危険極まりのないものである。
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