1988年公開のハリウッド映画『レインマン(Rain Man)』は、映画評論家の酷評にもかかわらず、記録的ヒットになり、「自閉症」に対するアメリカ人の認識を大きく変えた。
映画は、事業に失敗した小ワルの弟が、遺産を横取りするため、それを引き継いだ「自閉症」の兄を施設から無断で連れ出し、二人で旅をするという物語である。兄をダスティン・ホフマンが演じ、弟をトム・クルーズが演じた。
映画評論家の酷評とは、映画のハッピーエンドが気にいらないとか、「自閉症」の人間は施設に戻し閉じ込めるべきとか、いうものである。一方、観客は、「自閉症」の兄に人間的魅力を感じ、弟が兄を本気で好きになり、一緒に暮らすという結末に感動したのである。
スティーブ・シルバーマンの『自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実』(ブルーバックス)の第9章は、この原作(正確には原脚本)を書いたバリー・モローの本当の物語にあてている。
バリー・モローは、老人のビルと少年のピーク、二人の実在の人物をモデルにし、一人の愛すべき「自閉症」の兄のキャラクターを作った。
このビルは、7歳で州立精神病院に閉じ込められ、44年後、精神病院の過酷な実態の改善の一環とし、精神障害者の社会適応を調べるため、試験的に外にだされ、クラブ(キャバレー)の掃除人になる。
ビルが州立精神病院を「地獄のような場所」と語ったように、すさまじい所であったようだ。上院議員の妻たちが、州立病院を見に来た時、あまりにも気分が悪くなり、視察を断念せざるを得なかったという。
それが何年かの記述がないが、1960年代の終わりではないかと思う。日本でも、東大闘争で精神科閉鎖病棟の解体が叫ばれていた。
ビルはなぜ州立精神病院に閉じ込められたか、本書には詳しい記述はない。ただ、父親が急死したとき、学校の成績が急落し、校長は知恵遅れだ、施設に閉じ込めるべきだと主張したという。想像するに、一時的に抑うつ症を示したのだと思う。
しかし、コミュニティがよくそれだけで7歳のビルを精神病院に閉じ込めた、と思う。父親の急死で生活に困った母親はコミュニティに助けを求めたのだろうが、貧乏人とロシア系ユダヤ移民に対する強い偏見から、コミュニティがビルの社会からの隔離を選択したのだ、と想像する。日本で言えば、措置入院である。
ビルは、母親に見捨てられ、いかなる教育も受けられず、44年間、その州立病院で配膳係りとして働いた。働けるのだから、DSM-5の基準からすると、知的能力障害ではない。ビルはハーモニカを上手に吹けたとあるので、地獄のような州立病院の中で、他の大人の患者が子どものビルを助けていたのではないかと思う。
ビルは州立病院から外に出たとき、歯はほとんどなくなっており、かつらをつけていたという。酔っぱらった病院の用務係を起こしたため、髪の毛を握ったまま、階段から落とされ、頭皮がはがれたから、という。すさまじい話である。
20代のバリー・モローは、控えめだがおしゃべり好きのビルが好きになり、友人、そして家族の一員として付き合うようになった。
1974年、バリーは別の州に大学の仕事を見つけ、州行政の監督下にあるビルを置いて引っ越しする。しかし、2,3カ月すると、ソーシャルワーカーから電話がかかってくる。ビルの足の潰瘍が悪化したらから足を切断するよう、説得してくれとの電話である。すぐ病院に駆けつけると、足を切断した後、義足をつけるのではなく、また施設に閉じ込めるという。
そこで、バリーは無断でビルを連れ出し、彼の足の潰瘍を直し、彼の職を見つける。ところが、州外に連れ出したとして、バリーは誘拐罪で起訴され、精神鑑定委員会の審問が開かれた。
バリーは審問で追いつめられ苦境におちいる。そのとき、ビルは「祈りましょう!」と突然しゃべり出す。「天にまします我らの父よ、願わくは、み名をあがめさせたまえ。そして神よ、相棒のバリー氏を授けてくれたことに感謝します。チャビーという名の鳥を飼っています。いまは幸せな人生を送っています。そしてあの地獄のようなところには絶対に戻りたくありません。……。アーメン」
主の祈り(『マタイ福音書』6章『ルカ福音書』11章)のリズムで話したという。ぜひ、英文でここを読んで聖書と比較したいところである。
ビルのスピーチのおかげで、若いバリーが2倍も年上のビルの法的後見人と認められた。死が二人を分かつまで、友人として家族として再び暮らせるようになった。めでたし、めでたし。
映画はバリーとビルを弟と兄に置き換えたものである。しかし、ビルは「自閉症」ではない。あくまで、偏見に満ちた社会の犠牲者である。
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