中村かれんの『クレイジー・イン・ジャパン』(医学書院)の「監訳者あとがき」に、
「本訳書では日本の読者にとっては必ずしも必要のない箇所などを大幅に削除したほか、構成を大きく変えたところもある」
と石原浩二が書いている。
インタネットで調べると、原書の第2章“Psychiatry in Japan”(日本の精神科医療)、第3章“Hokkaido and Christianity”(北海道とキリスト教徒)が、本訳書の本文から削除されている。
削除された第3章は、アメリカ人のプロテスタントで映像人類学者、中村かれんが、プロテスタントの圧倒的に少ない日本の現状をどう見るか、興味あるところである。
原書の第2章“Psychiatry in Japan”(日本の精神科医療)は削除されたのではなく、付録1に置かれたようだ。
付録1の日本の精神医療批判は、重要に思えるので、補足しながら、彼女の見た日本の精神医療の実態を、ここに、要約しよう。
《日本では、精神病患者を座敷牢に閉じ込めるという時代がずっとつづき、大正にはいって自宅監禁から病院監禁に変わっていく。1919年に精神病院法を制定し、公立精神病院に建設費用の半額、私立精神病院に建設費用の6分の1の助成金を与えることがきめられた。実際に病院監禁が普及するのは、1950年成立の精神衛生法が自宅監禁を禁止した以降である。》
しかし、病院に精神病患者を隔離すれば、問題解決ではない。
私が大学にいるとき、1968年、「閉鎖精神病棟粉砕」の立て看板が東大病院の前にあった。これが、東大闘争の発端である。閉鎖病棟の中で、患者の虐待、生体実験が、「精神医療」の名のもとで行われていたのである。
不幸なことに、この「閉鎖精神病棟粉砕」は、新左翼の跳ね上がりとして、結局無視され、宇都宮病院事件が起きる。
《1983年に、報徳会宇都宮病院の虐待を面会者に伝えたとして、入院患者が職員にリンチされ、死亡した。翌年、新聞にスクープされ、院長と4人の職員が殺人、暴行、詐欺の容疑で逮捕された。それだけでなく、宇都宮病院の死亡患者の脳が、普段から、東大医学部の武村信義医師に送られ、脳研究に使用されていたことが、発覚した。》
この精神病患者の虐待や生体実験は、日本だけではなく、世界的にあったのである。
これは、たびたびアメリカ映画のテーマになっている。アメリカでは公民権運動につづいて、患者の精神科病棟からの解放運動が1960年代に起き、特別の事情がないかぎり、統合失調症患者は通院で治療を受けることになった。
現在は、日本でも、患者は本人の意志で精神科病棟に入院していることになっている。鉄格子のついた閉鎖病棟は原則禁止で、精神科病棟には外とつながる公衆電話を置くことに、法律でなっている。
ところが、精神科病棟の半分で、公衆電話が置かれていなかった、と昨年、朝日新聞が報道した。
虐待は、今なお、精神科病棟に限らず、日本の閉鎖的施設、例えば、老人ホームや知的障害者利用施設でも、起きている。
精神科医の川村敏明が、浦河日赤病院の入院患者をゼロにし、コミュニティ「べてる」からの通院にもっていったことをインタネットで知り、私は彼をすばらしい医師だと思う。
櫻井武は、『「こころ」はいかにして生まれるのか 最新脳科学で解き明かす「情動」』(ブルーバックス)の中で、脳科学の人間の脳に関する過去の知識の多くが、てんかんや精神疾患の患者の生体実験から得られたものである、と語っている。
過去の負の歴史を隠さない、櫻井武の態度は、尊敬にあたいする。さもないと、人体実験がふたたび起きる可能性があるからだ。
現在、脳科学の新しい知見は、人間以外の動物、日本ではマウスでの実験で得られており、生体実験は必要でない。
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