私が子供だったときに、新聞に「消費者は王様です」というキャッチコピーがのった。これは、当時の人気演歌歌手、三波春夫の口ぐせ「お客様は神様です」のパロディーであるが、日本の高度経済成長期の風潮をよく表現していると思う。
私の母は、この新聞広告をもとに、「時代は変わった、お金は使ってなんぼのもの」と、あれが欲しい、これが欲しいと父を責めていた。父は、「上を見たらきりがない」と反対した。
私の母が欲しかったものは、電気洗濯機、冷蔵庫、電気釜、電気掃除機である。雪国なのに、湯沸かし器もなかった。もちろん、テレビもなかった。母は結局我慢した。
高度経済成長期は、物が欲しいという欲望をあおって、人を働かせ、物を売り、企業は大きくなった。
母の言い分もわかるが、物のために母が父を責めたてたという私の記憶が、人間の欲望や経済成長を素直に喜べない私にしている。現在の日本は、子ども時代とくらべて、物質的に十分に豊かな生活になっている。これ以上、自由を代償にして無茶苦茶に働くことを肯定できない。
小野善康は、『成熟社会の経済学』(岩波新書)のなかで、現在のデフレは、物が余っていることによるから、必要な人に物が行き渡るようにすれば、不況が自然に解決すると言っている。戦後、日本は、人間の欲望を活力の源として、社会の生産設備を拡大してきた。その結果、現在、物が売れないという皮肉なことが起きている。互いに助け合う優しい心があれば、景気が良くなるのに。
何が原因かは、戦後史を見てきた者には、明らかである。「働くものが王様だ」とする労働組合がつぶれ、「労使協調路線」のもとに企業に管理された労働組合が増えた。総評から連合に変わった。さらに、いまは労働組合自体があたかも悪であるかのように新聞にたたかれる。貧しいのは本人が悪い、自己責任だ、とたたく政党ばかりが目につく。コミュニティが壊れている。共産主義や社会主義を人間の「自由」の敵だとする考えは、いまや、リベラリズムを否定する社会を作りつつある。
「働け、働け、金を儲けろ」ばかりだ。
コロナ騒動の引きこもり生活が終わるこの機会に、経済成長や効率や国際競争を最優先する社会に、疑問をもったほうが良いと思う。
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