きのう、テレビで、2019年のイギリス映画『ラスト・クリスマス』(Last Christmas)を見た。この映画は、アメリカでまったくヒットしなかったが、心あたたまるクリスマス映画と私は思う。
物語は、緑色の妖精の衣装を年中つけた店員ケイトが、トムと出逢って、半分死んだような だらけた生活から しだいに抜けて出て、ホームレスの人たちのためのボランティア活動も始める。ケイトはトムの部屋に訪れたとき、たまたま いた不動産屋に、この部屋の住人は去年のクリスマスに交通事故で死んだと知らされる。そして、ケイトは、自分の心臓が脳死のトムから移植されたものと気づく。ケイトはトムがいつも自分の中にいると知り、みんなとともに生きていくことの勇気を得る。
そう、last Christmasは「去年のクリスマス」という意味である。
ウィキペディアを見ると、映画評論家のつけた評価は、10点満点で5.52点となっている。「『ラスト・クリスマス』の主演2人には好感が持てるし、スタッフにも才能豊かな人が揃っている。また、音楽の使い方も巧みだ。しかし、それらを以てしても、お粗末なストーリーという欠点を相殺できていない」と評されている。
ケイトもトムも魅力的だし、ロンドンの下町が美しく撮れているのに。
アメリカ人やアメリカの批評家に受け入れられなかったのは、「お粗末なストーリー」というより、イギリス人にとってはあたりまえのことが、平均的なアメリカ人にとっては、許せない現実なのである。
トムは中国系イギリス人なのである。しかも、背が高くてかっこいい。アイススケートをケイトに教える。自転車に乗ってケイトの前に現れる。自動車ではないのだ。アメリカ人には、ケイトのヒーローが、中国人であるだけでなく、自動車も買えない貧乏人なのが許せない。
ケイトの両親はユーゴスラビアからの難民である。ケイトの父親は故国では弁護士であったがロンドンではタクシーの運ちゃんである。(ケイトを演じたエミリア・クラーク自身はインド人の血が混じったイギリス人である。はじめて映画で見たとき、私はイラン人かと思った。)
ケイトが働いているクリスマス飾りを年中売る店の主人は中国系女性である。彼女に思いを寄せるのはオランダ系男性である。
ケイトの女友だちは、アフリカン(黒人)と同棲している。
ケイトの姉(弁護士)はどうもレスビアンらしい。しかも相手はアフリカンである。
ホームレスの世話をしているのは教会ではない。貧しい人たちの自立組織だ。アメリカ人は左翼だと警戒する。
ケイトは歌手にあこがれていたが、結局、ホームレスの人たちとともに企画したクリスマスの集会で、無料で歌って踊るのだ。アメリカ人の大好きな成功話しでない。
しかも、福音派の期待するキリスト教の教えが一切出てこない。キリスト教徒の決まり文句が出てこないから、聖なる気分になれないのだ。
クリスマス映画にしては、アメリカ人の期待するおとぎ話ではない。
この映画の監督、脚本家、出演者はイギリス人なのである。アメリカ文化とイギリス文化との違いをおもわず見てしまった。
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