古新聞を処分していて、突然、ひと月近く前の朝日新聞《耕論》に不快な思いをしたことを思い出した。その《耕論》は『「仕事はできる」けれど』という見出しで、つぎのような問題を提起していた。
「職場で「能力が高い」と評価される人が、攻撃的だったり、他人の足をひっぱったりすることがしばしばある。なぜそうなってしまうのか。「仕事ができる」とはどういうことなのか。」
私が思うに、本当に「能力が高い」人なら、どうして、他人に攻撃的である必要があるのか、他人の足を引っ張る必要があるのか、そんな必要はないはずだ。だとすると、他人を攻撃する人や他人の足を引っ張る人は、「能力がない」のに、会社内の競争に勝ちたいからでないだろうか。そういう人を「能力が高い」と評価する職場に問題があるのではないだろうか。私はそう思う。
同じように、他人を攻撃する人や他人の足を引っ張る人が「仕事ができる」と評価される職場は、どうでもよい仕事や他の人に迷惑がかかる仕事や他の人からお金を奪う仕事をしているのではないだろうか、と私は思う。
しかし、インタビューを受けている3人の論者は、「能力が高い」「仕事ができる」という言葉に、少しも疑問を感じていないように、見える。私はこのことに不満であった。
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約40年前、カナダの大学で研究していた私は、日本の外資系会社の、コンピュータの新しい応用を切り開く部門に請われて、入社した。入って感じたことは、やっていることが退屈であることだ。もっと創造性のある仕事がしたい、そう思って、幾度となく企画書を上司や上司の上司や上司の上司の上司に提出した。
職場に先に入社した同僚(先輩)から、まず、言われたのは、「仕事をするな」「私に仕事をされると自分の居場所がなくなる」ということだった。彼は、その後、私をうまく手なずけている、「管理能力」があると吹聴して出世していった。私からみれば、上に対するゴマすりが上手であるだけだ。
会社の行事として全員の宴会があるとき以外、上司や同僚との飲み会に私は参加しなかった。私は家族がある。飲み会よりも家族と時間を過ごすことのほうが、だいじだと思うからである。いっぽう、異なるグループや異なる部門の人たちとは昼間に会話を良くした。営業部門の人たちのおかげで日本のいろいろな企業の開発部門、研究部門の人たちとも付き合った。話すのは、私は耳学問が好きだからである。いろいろな人たちと楽しく会話し学んだ。
そのうちに、私の部門が研究部門に格上げになった。研究部門とは会社の明日を築くかもしれないが不確実性の高いことに挑戦する部門である。ところが上司たちは海の向こうの本社に独創的な企画を出さず、開発の下請けのような仕事しかとってこない。企画書を出す私は上司たちからは煙たがられた。
私に研究管理の職がまわってきたのは、本社が赤字をだし、人員整理の波が来たときである。私が50歳近くのことである。管理職になって、自分がやりたい仕事をあきらめ、みんなができることは何か、みんながやりたいことは何かを考えた。また、みんなと公平に接するために、職場の人間と少人数で飲みに行くことを自分自身に禁じた。話はみんなの前で昼間にすべきという考えをつらぬいた。
結局、私が率いた研究プロジェクトが成功せず、会社の退潮傾向を止められなかったが、それで出世できなかったことには悔いがない。楽しい一社員の生活だった。
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もちろん、世の中はいろんな仕事があって、創造的な仕事だけではない。世の中の大半は昔ながらの仕事かもしれない。
どんな仕事でも、一生懸命する人と手を抜く人がいる。手を抜く人を一生懸命する人が非難するのはいけない。人より働いたからといって偉いということはない。しかし、逆もいけない。働かないから偉いということもない。
私のいとこの夫は、自衛隊の曹士だった。彼は 引退後 門番に再就職したが、それだけで給料をもらうのは悪いと感じて、門のまわりの掃き掃除をした。たちまち、周りの同僚から非難された。門番の仕事を増やすという理由からである。みんなと同じでなければいけないという考えは、おかしいと思う。よく働く人も、あまり働かない人もいて いいのではないか。
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