(Христина Соловій)
きょうの朝日新聞〈フォーラム〉のテーマは『産まない選択』であった。確かに「産むか産まないか」は当事者に選択の権利がある。
しかし、なぜ産まない選択をするのか、という疑問が私にはある。子どもができない人が、無理をして産もうとするのをやめるのは納得できる。しかし、できてしまったのを無理して降ろすのは、あまり幸せなことと思えない。
「子どもを産まない人生があってもいいと思う。いろいろな形で社会貢献はできる。子どもを産んでるから一人前だなんて、もうやめてもらいたい。」(40代女性)
子どもを産むことが「社会貢献」と考えている人がいるなんて知らなかった。被害妄想ではないか。
「個々人の気持ちに矮小化するのではなく、子どもへの投資について国としてどう考えるかという政策論で捉えるべきだろう。」(40代男性)
「子どもへの投資」という考えにはびっくりした。資本主義社会に毒されているのではないか。子育て自体に喜びがあることに気づいていないのだろう。子育てに喜びを持たない人が子どもをもつと、虐待しかなくなる。産むことが義務と感じる人は子どもを持たない方が良い。
子どもをもつということは、セックスをしたいと同じように、欲望の1つである。国のために産むのではない。国なんて、私たちの自由を奪うために作られた檻にすぎない。
子どもを産んで育てたい人が、経済的理由で子どもをもつことを諦めないで済むよう、経済的支援をするのが良い。
問題は、子どもを産みたいという欲望より、もっと優先される欲望があると思う人が増えたことにある。それって、個人の自由だが、なんなのだろう。
私の妻の兄の子どもは、欲望のまま、あちこちに、子どもを産ます。金持ちでもないので、養育費を払うのに、苦労している。焼き鳥屋の雇われ店長である。自分の食費にも困っている。
「結婚したら子どもを持つものだと思って産んだが、後悔もある。仕事のキャリアが奪われて稼ぎが減り、夫には「アルバイトみたいな稼ぎ」と言われ傷ついた」(40代女性)
「キャリア」となんだ。「稼ぎ」とはなんだ。
NPOで私の担当している20歳過ぎの子は「働きたくない」という。「働くことは苦しいことばかりだ」という。その子に、「働くと仲間ができる」と説得している。
「キャリア」とはなんだ。職場で偉そうにすることではないか。賃金労働者になって、雇用主に「主任」「課長」「部長」とおだてられ、会社の上下関係に取り込まれることではないか。
「キャリア」を口にする奴は人間の屑である。
雇用主からもらう賃金の大小で、人をバカにする夫のチンポコは切り取ってしまえ。
みんな資本主義社会に毒されている。資本家や経営者を追い出し、「キャリア」なんてバカなことを言わなくて済む社会を作らないといけない。
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