土曜日の朝日新聞3面《ひと》の欄に気になる文章があった。
〈捕虜収容所の若いロシア兵は、家族からの手紙を受け取ると涙を流した。兵士が「人間性(ヒュマニティー)」を取り戻した瞬間だった。〉
この文章では、若いロシア兵は家族からの手紙を受け取るまで、「人間性」が欠けているように読める。そんなことをどうして断定できたのか。
この欄を書いた記者が、「ロシア兵」だから、「人間性」に欠けていると思って、勝手にそう書いたのか。
この《ひと》の欄は、新しく赤十字国際委員会の駐日代表に就任した榛澤祥子を紹介する記事だ。本人は「難民や捕虜という言葉でひとくくりに捕らえず、一人ひとりが人間であることを忘れずに活動したい」と語ったとのことだ。
だとすれば、彼女は「兵士が人間性を取り戻した」と言わないはずだ。しいていえば、「兵士が人間性に触れて涙を流した」という表現になるだろう。
記者が自分の原稿を榛澤に見せてチェックしてもらわなかったか、それとも、榛澤が鈍感であったか、どちらかである。わたしは、前者かと思う。
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