加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫)を読むと、戦前の日本人にファシズムやスターリニズムへの憧れがみられる。当時のドイツ、ソ連で自由が抑え込まれているということは問題とされず、貧困から解放してくれる、学歴によらない平等な社会を実現してくれる、という期待を当時の日本人が少なからず抱いている。
このことを考えるとき、アドルフ・ヒトラー個人の頭がおかしいとすますだけではいかない。
エーリッヒ・フロムは『自由からの逃走』(東京創元社)は、集団として見ると、人間は「自由」の重荷にたえられず、それから逃げようとする傾向があるいう。この見方には、独裁者個人だけに問題があるというより、その独裁者を受け入れる国民にも責任があるという考えが潜んでいるといっている。特定の個人だけでなく人間全体の頭がおかしいというのは、それなりにあたっているが、そういってしまうと、救いがない。
とにもかくにも、集団による「自由の抑圧」に反撃をしなければならない。そのためには、自由と平等は同じ源から生まれており、相反しないのだという認識がまずいる。
当時のドイツとソ連とを和解させることができるとした戦前の陸軍の理由を、加藤陽子はつぎのようにまとめている。
〈ソ連は社会主義国であって資本主義国とは違う、とくに経済政策の点では国家による計画経済体制をとっているのだから、反自由主義、反資本主義ということで、日本やドイツと一致点があるのだ〉403頁
戦前の日本人のほうが、「反資本主義」という言葉を平気でいう。それに対し、今は、誰かと議論すると、「資本主義社会だから自分の利益を優先せざるをえない」という言い訳を私はよく聞く。この場合、否定的な形だが、戦前の陸軍の「資本主義」「自由主義」の理解が、自由主義=利己主義として、日本人のなかで残っている。
「自由」も「平等」も、誰かが誰かを支配することの否定からくる。ただ、「自由」と「平等」を共存させるためには、人が他の人と共感する能力を高めないといけない。この共感する心は、何かの運動に熱狂する心ではない。また、他人に共感する心は、決して生まれながらあるのではない。
古代ヘブライ語に「友」にぴったりくる言葉はない。「友」に一番近いのは “רע”(レア)で、聖書『レビ記』19章に出てくる“רע”を、日本語聖書では「隣人」と訳している。あの有名な「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」という言葉のなかである。
昔のひとびとには「友」という対等の人間関係はなかったのだ。
人が他の人に共感できるのは学習によるものだと思う。「発達障害児」の育てることで一番だいじなのは「他人を信頼する心を育てる」ことだと言われている。小さいときからのほうが効果があるといわれる。私の経験からもそう思う。
「共感する心」も育てる必要がある。
「自由」と「平等」とが共存できなくなるのは、人が小さいときから「競争」のなかに叩き込まれるからだと思う。
20世紀前後に活動した共産主義者カール・カウツキーは『中世の共産主義』(叢書・ウニベルシタス)のなかで、つぎのように当時のドイツ社会を嘆いている。
〈現代の生産様式は自然科学と機械工学との応用を基盤としているが、この生産様式と現代社会のひときわ目につく特徴の1つは、休みなく新発明と新発見にむけて急ぐことである。〉
すなわち、資本主義社会では、ひとびとは、資本家も労働者も、たえず競争させられるとカウツキーは言っているのだ。
「競争」が資本主義固有のものとは思わないが、「共感する心」を奪っていると思う。だから、「叩き上げ」を自称する人間を私は信用できない。「競争」に勝ち残ってきたと自慢しているにすぎない。
「共感する心」を持っていれば、熱狂におちいらず、「連帯」あるいは「団結」することができると思う。
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