きょう(1月7日)の菅義偉の非常事態宣言は、まことに、インパクトのないものであった。
おととい(1月5日)の新型コロナ感染症対策分科会の提言には、これまでの問題点として、つぎのように書かれていた。
〈特に比較的若い年齢層では、感染しても症状が軽い又は無いことも多く、気が付かずに家庭や高齢者施設にも感染を広げ、結果として重症者や死亡者が増加する主な要因の一つとなっている。また、この年齢層の一部にメッセージが伝わりにくく、十分な行動変容に繋がらなかった。〉
〈国民の更なる協力を得るためには、国と自治体、専門家との一体感のある強いメッセージ及び強力な対策が必須である。〉
ところが、菅のスピーチはこれをそのまま読み上げているようなものであった。提言をそのまま読み上げても、強いメッセージとならない。
菅は、まず、医療崩壊という危機的状況を国民に率直に伝えるべきである。政府として有効な感染症対策をもっていないから、一人ひとりの節度ある行動によって、感染症の広がりを抑えるのを助けてくださいと、国民にお願いすべきだ。本当に、菅は人間の心がわかっていない。
菅は、感染症対策として訴えたことは、(1)飲食店の時短、(2)マスクをかけての会話、(3)テレワーク(出勤の7割減)、(4)午後8時以降の外出自粛である。
菅のスピーチは、政府の規制がゆるくて国民の生活に迷惑をかけないということに、強調点が置かれていた。
そして、最後に、「…とお願いして、わたしからの挨拶としてさせていただきます」と言って、菅はスピーチを終えた。これじゃ、後援会でのスピーチと同じじゃないか。
そうなんだ。菅のスピーチは自分の支持層にたいするメッセージで、ドイツのアンゲラ・メルケル首相、イギリスのボリス・ジョンソン首相と比べて、はるかに劣る。
緊急事態宣言はまず危機意識を国民全体が共有するものでなければならない。
そのうえで、国民にお願いしなければならないことをハッキリ言うことである。お願いすることは、人との接触を避けてくださいということである。感染症は人から人へとうつるからである。
しかし、社会は人と人との接触がなくては成り立たないものがある。それで、社会活動に優先順序をつけ、必要不可欠の活動、必要性が低いが人と人との接触が少ない活動、必要性が低く感染の危険度が高い活動があると明言すべきである。
みんなで飲み会をしなくても、みんなで会食をしなくても、みんなで旅行をしなくても、みんなで集まって騒がなくても、生きていけるのである。
ついで、行政側が責任をもって行う施策を、医療支援、検査体制、生活支援にわけて説明する。
菅は筋道をたてて概要を話すのでよく、詳細は担当者に説明させるので十分である。
[補足]
新型コロナ感染症は風邪のようなものでたいしたことがないという人がいる。
とんでもない。感染力が違うのである。感染力の違いが与える社会的影響を考えていない。
感染力が強いということは、患者数が急激に増えて、他の病気の治療体制に影響力を与えるのである。これが医療崩壊の中身なのである。
また、新型コロナの死亡率が低いといっても、年齢層によって、異なるのである。国民の20%の若者の死亡率が0.1%以下といっても、国民の20%の老人の死亡率は5%かもしれない。すると、爆発的に感染が増大すると、1億3千万人のうち、130万人の老人が死ぬことになる。
感染力が強いということは恐れるに充分あたいする。
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