猫じじいのブログ

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カズオ・イシグロの『遠い山なみの光』――緒方さんと悦子

2020-06-22 23:06:06 | こころ


図書館から、『遠い山なみの光』の原本 “A Pale View of Hills”を借りてきた。しかし、この原題の“hills”は、長崎の稲佐のなだらかな「山なみか」、自殺したケイコの部屋から見えるイギリスの起伏にみちた田園風景か、わたしには まだ わからない。

本書のテーマは、あくまで、娘ケイコを自殺にまで追い込んだ母エツコが、もう一人の娘ニキとの5日間の回想で、自己を許せるようになるということだ。

長崎の稲佐の「山なみ」にのぼった日は、エツコの記憶なかで、ケイコの投影であるマリコが幸せだった特別の日なのだ。だから、作者が“a pale view”とは言わないような気がする。

もう一度、『遠い山なみの光』と“A Pale View of Hills”とを読んで、この小説のプロットが非常に練られているのに気づいた。20代後半のカズオ・イシグロが、イギリス社会で這い上がるために練りあげた、考えに考えたすえのフィクション、作り物なのだ。

野心家のカズオ・イシグロに敬意を表して、メモを取りながら、読むことにした。

小説に出てくる日本人は、教養ある育ちのよい日本人に設定されている。激しい自我を内に秘めてたんたんと接する人間関係を描くところは、小津安二郎や成瀬巳喜男の昔の日本映画の世界だ。しかし、わたしは下賤の出であるから、ほんとうは坊ちゃん嬢ちゃんを好きでない。

カズオ・イシグロは“A Pale View of Hills”を出版したとき、28歳である。若い彼に、50代の女エツコの気持ちがわかるのだろうか。エツコもサチコもマリコも、野心にみちた若い彼が、イギリス文壇に受け入れられるために創作したステレオタイプ的な女たちにすぎないのではないか。それとも、身近にモデルがいたのであろうか。

物語の語り手でもあるエツコに、カズオ・イシグロは複雑な過去を設定する。

この物語では、オガタさん(Ogata-san)とナカムラさん(Nakamura-san)だけを、エツコが「さん」をつけて思い出す。名前しか出てこないナカムラさんは、どうも、原爆で死んだ恋人であるらしい。

〈緒方さんは夫の父なので私も同じ性になってからも、彼のことはいつでも緒方さんとしか考えなかったのは、妙な気もする。〉(小野寺健訳)
この原文は
〈it seems rather odd I always thought of him as “Ogata-san” even in those days when that was my own name.〉
である。「妙にみえる」と断言しているのだ。

〈けれども「緒方さん」とはあまりにも古くからのおつきあいで ― 夫の二郎と会うよりずっと前からだったから ―  どうしても「おとうさん」と呼ぶ気にはなれなかった。〉

この原文は
〈But then I had known him as “Ogata-san” for such a long time – since long before I had ever met Jiro – I had nerver got used to calling him “Father”.〉
である。

訳文の〈「緒方さん」とはあまりにも古くからのおつきあいで〉は、原文の〈I had known him as “Ogata-san” for such a long time〉とニュアンスが違う気がする。

小野寺健の訳での、エツコがオガタさんに話しかける際の「おとうさん」は原文では単に“you”である。
例えば、小野寺訳〈男だったら、お義父さまの名前をつけようかしら〉は、原文では〈If it’s a boy we could name him after you.〉である。
(カズオ・イシグロは英語で考えていて、日本語で考えていない。)

それだけでない。オガタさんとエツコは互いに素直に話す。まるで、夫婦のようだ。

そして、小説最後の12章を読むと、エツコは、オガタさんが大好きだった、と娘ニキに告白している。

〈On the contrary, Niki. I would have been happy if he’d lived with us.〉
〈 I was very fond of my father-in-law.〉

元校長のオガタさんは、血縁関係のない若いエツコを、原爆投下後の困難な時期に、引き取ったのである。エツコを好きだったから引き取ったのか、引き取ったから好きなのかは断言できないが、エツコの家はオガタさんの家の近くというから、以前から好きだったのではないか。

オガタさんはエツコを引き取っただけでなく、エツコのわがままに耐え、自分の息子と結婚させたのである。
エツコは、オガタさんに男らしいエネルギーを感じるが、息子ジロは父に似ていず、前かがみで小柄でずんぐりしている男に見える。
エツコはオガタさんの息子ジロへの愛がなく結婚したのである。
ジロはそのことに感づいていて、結婚後、父のオガタさんといっしょに住むことを拒否する。
ジロのわだかまりが、娘が生まれても夫婦の距離を近づけない。
エツコは、オガタさんの妻の名をとって、娘をケイコと名づける。
7年後、エツコは、夫を棄てて、ケイコを連れて、イギリス人の恋人と共にイギリスにわたる。
このイギリス人の新しい夫をも、知識人ぶっているだけの軽薄な男として、エツコは思い出す。

多くの人が気づいていないが、これが野心に燃える若いカズオ・イシグロの考え抜いて創ったプロットであると思う。そして、彼の創ったフィクションが王立文学協会賞を受賞し、9か国語に翻訳されたのだ。


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