加藤陽子を菅義偉がなぜ日本学術会議の会員に任命拒否したのか、私はいまだに興味をもっている。というのは、任命拒否された6名のうち、菅が名前を知っていたのは加藤だけであるからだ。あとの6名は、加藤だけを拒否したといわれないように、道連れにされた可能性がある。
日本語ウィキペディアによると、加藤陽子は、山川出版社の教科書『詳説日本史』でつぎのように書いたことで、「自虐史観」の学者だと右翼から非難されている。
〈「日本軍は南京市内で略奪・暴行をくり返したうえ、多数の中国人一般住民 (婦女子をふくむ) および捕虜を殺害した (南京事件)。犠牲者数については、数万人~40万人に及ぶ説がある」〉
この記述に対して、
〈上杉千年は「理科の教科書に〈月に兎がいるという説がある〉と書くに似ている」と非難し、秦郁彦も加藤について「左翼歴史家のあかしともいうべき自虐的記述は、正誤にかかわらず死守する姿勢が読み取れる。つける薬はないというのが私の率直な見立てである」と非難している。〉
また、ウィキペディアにつぎのようにも書かれていた。
〈加藤の東大での指導教授だった伊藤隆は「彼女はぼくが指導した、とても優秀な学生だった。だけど、あれは本性を隠してたな」と語ったという。〉
それで、伊藤隆に興味をもって、『歴史と私』(中公新書)を図書館から借りてきている。伊藤が史料発掘に努めた近代日本史研究家であることと、共産党が大嫌いであることが、読み取れた。
この共産党が嫌いというのは理性的思考を越えた信仰のようなもので、共産党の言うことには、何でも反対する。まるでトランプ大統領のオバマ嫌いと似ている。
「第5章ファシズム論争」で、彼はつぎのようにいう。
〈アウシュヴィッツや「収容所列島」とまで言われた膨大な数の強制収容所をもつような体制こそを、ファシズム体制や共産主義体制を含めて全体主義と呼ぶのが適当なのではないでしょうか。〉
この第5章では、伊藤は「戦前期の日本をファシズムという用語で規定することによって、見えない部分が出てきたり、矛盾が生じてしまうのではないか」と批判している。それでは、「戦前期の日本」の体制はなんなのだろうか。「全体主義」体制なのか。どうも、伊藤はそう思っていないようだ。「全体主義」のレッテルをつけると、「共産主義体制」と一緒くたにされ、戦前の日本の良いことが否定される、と思っているようだ。
抑圧的体制であるという意味で、丸山眞男のように、「上からのファシズム」とか「日本的ファシズム」と呼んだって別に悪くないと思う。
伊藤が監修した育鵬社の中学教科書「みんなの公民」につぎのようにある。
〈政治の最大の目的は、国民の生命と財産を守り、その生活を豊かに充実させることにあります。〉
この観点からすれば、イタリアのファシストだって、ドイツのナチストだって、良い面があったと考えている人がいても不思議でない。自由、平等、共感がこの観点から抜け落ちている。
「第3章 木戸日記研究会のことなど」にもわからない議論が出てくる。昭和初期政治研究における視点として、2軸を設定する。1つの軸は「進歩(欧化)」対「復古(反動)」であり、もう1つの軸は「革新(破壊)」対「漸進(現状維持)」である。
私は、まず、伊藤の言葉のセンスがわからない。コンサルティング・ビジネスでは、価値観と結び付きやすい言葉を2軸の設定に使わない。「進歩」「反動」なんて、伊藤の嫌いなはずの共産党の言葉ではないか。この場合は「欧化」「国粋」であろう。「革新」「漸進」もわかりにくく、「破壊」「漸進」ではないか。
それでも、伊藤が「革新」「保守」を避けたのは、「保守」に後ろめたいニュアンスがあるからだろう。それが、「第4章 革新とは何か」を読むと明らかになる。
ところで、私は、非常に、単純に考えている。
「進歩」というものはない。人間の歴史は、言葉と文字の発明によって、多様化をたどるだけである。
左翼とは、人間が人間を支配することを否定するものであり、右翼とは人間が人間を支配することを肯定するものである。
加藤陽子の任命拒否は、思想の自由と学問の自由の否定であり、撤回すべきである。
加藤陽子は、指導教授の伊藤隆よりずっと人格が優れている。
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