きのうの真夜中に、BS NHKの『100分de名著』で、松本清張の特集を再放送していた。以前に見たような気がするが、新発見もあり、最後まで見てしまった。
社会派推理小説家として松本清張の名前だけを知っていたが、私が本当に読んだのは、河出文庫の『幕末の動乱』(現代人の日本史第17巻)だけである。
番組案内役は、日本近代思想史研究家の原武史である。松本清張の小説は、底辺からつぶさに見た昭和社会の断面が描かれていると彼は言う。また、女は強い意思と激しい感情をもった怖い者と描いている、と言う。彼は『点和史発掘』『神々の乱心』である。
『昭和史発掘』は清張のノンフィクション(歴史書)である。原は、清張が「2.26事件」を普通の歴史家と異なった視点でとらえていると言う。貞明皇太后が、長男の昭和天皇より、次男の秩父宮を愛していた、と清張は書く。近代の歴史家は、宮中内の愛憎劇をとりあげない。いっぽう、清張はそれをタブー視しなかったのだ。
秩父宮が「2.26事件」の黒幕であるという説は以前からあるが、それを清張がとりあげたわけではない。そうではなく、「2.26事件」で、昭和天皇が青年将校の決起を烈火のごとく怒り、抑え込んだのは、自分が権力を失うかもしれないという不安である、と清張が示唆したのである。自分の母は自分でなく弟を愛している。弟は、事件の翌日、急遽、宮中に現われる。何事だ。
歴史の大勢は、個人を越えた法則があるかもしれない。しかし、その時その時は人間の感情による偶発的な出来事で進む。まさに、人間を観察する小説家の目である。
それなのに『昭和史発掘』は素人の書と歴史家にバカにされただけ、と原はいう。
『神々の乱心』はフィクションである。しかし、ここでも、清張は、貞明皇太后が、長男の昭和天皇より、次男の秩父宮を愛していたという事実を素材として使う。また、宮中の女官が新宗教にはまったという事実も素材として使う。さらに、「三種の神器」を、天皇を含め、見た者がいないという事実を素材として使う。
去年の天皇の代替わりの儀式に「三種の神器」の引き継ぎがあったが、新聞記事に、そのとき渡されたのは模造品で、ホンモノは伊勢神宮と熱田神宮にあると書かれていた。このことはメディアであまり言及されなかったが、清張は、そもそもホンモノがないという視点で小説を書いている。そうなのかもしれないと私も思う。
『神々の乱心』は、関東軍の情報将校だった秋元伍一が、満州で江森静子という霊媒師に出会い、新宗教を起こして、日本の宮中に入り込み、日本を陰で操ろうという物語である。秋元が三種の神器の模造品を古物商から購入するところで、清張は倒れ、1992年に死んでしまい、この小説は未完で終わる。
『神々の乱心』では、江守静子の予言を聞こうと、宮中の女官だけでなく、陸軍、海軍の将校が集まってくるが、ここなんかは、1989年から1990年にかけて、女将の株価予測を聞きに、経営者たちが夜な夜な大阪の料亭に集まっていた、という「尾上縫」事件をパロディーにしていると私は思う。実際、パナソニック(松下電器)の社長は、この女将の予言を信じて大損をして、社運を傾けてしまったという話しだ。
なお、『神々の乱心』の小説としての評判は、ネットの「読書メーター」によると、松本清張のうんちくが書かれすぎて、物語の進展の面白さが損なわれているという。小説を読まないで、自分の『神々の乱心』を頭に思い浮かべて楽しむほうがよいかもしれない。
小説だから、例えば、皇太后が、自分の夫、大正天皇が軍部に殺されたという恨みで、軍部と昭和天皇を米国との戦争に追い込み、敗戦で秩父宮が皇位を継承するというシナリオもありうるだろう。
[蛇足]
もしかしたら、きょうの秋篠宮が皇位継承権第1位になる立皇嗣の礼の儀式をNHKが意識して、松本清張特集を再放送したのかもしれない。「神々の乱心」は天皇制がある限り起こりうる事件である。
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