アメリカ政治学の中山俊宏が5月1日に くも膜出血で死んだ。55歳での死である。もっと話を聞きたかったので残念だ。
アメリカ社会に住む人びとは多様である。しかし、政治の表舞台に出てくる層はその一部である。人間が悪いから政治の表舞台に出て来れるのだ。したがって、批判的視点をもってアメリカの政治を見ないといけない。
中山俊宏をテレビで はじめて見たのは、11年前、「ウォール街を占拠せよ」運動についての座談会である。このとき、彼は、アメリカで「機会平等」というアメリカン・ドリームが死につつあるとコメントした。このとき以来、彼を私は信用している。
アメリカン・ドリームという幻想は、ほんのわずかな人の成功をもって、不平等を肯定するペテンである。確率で考えると、アメリカ社会では、金持ちが もっと金持ちになる確率が、貧乏人が金持ちになる確率より、はるかに大きい。競争社会で確実に勝つにはイカサマをするのが早い。もちろん、多くの人が公平な競争が行われていると信じているとしてである。金持ちは自分が勝つ可能性の高い法律や制度や信念を社会に押しつける。
今回のロシア軍のウクライナ侵攻で、日本や欧米のメディアが西側の価値をほめたたえている。しかし、西側の価値とは怪しげなものである。単にアメリカ、イギリス、ドイツ、フランスで権力の座にあるものに都合のよい理念を述べているだけである。
西側の価値の1つである「自由」は「私的所有」を拡大する自由である。誰にも命令されない、あれこれ指示されないという「自由」のことは おおやけには 忘れられている。どこかに「務める」ということに対する嫌悪感を誰もおおやけに口にしない。私は、就職するということがとても嫌だった。なぜ、上司に私が命令されなければならないのか。
「私的所有」を拡大する自由は貧富の差を拡大する。しかし、「公的所有」も必要ではないか。「道路」が私的所有の対象で、道路を使用するたびに通行料を払わなければならない社会が望ましいのか。人の命がみな平等なら、救える命を救う医療が公的なものでなければ、おかしいのではないか。
「私的所有」の自由よりも、上司や部下という関係を否定する「自由」のほうがだいじではないか。雇用、被雇用という関係を拒否する「自由」のほうが楽しくないか。
西側の価値のもう1つの「民主主義」は「議会制民主主義」と「三権分立」である。しかし、宇野重規が指摘するように、デモクラシーはギリシア語のデーモス(大衆)とクラトス(力)の合成語である。したがって、本当に大衆が力をもてているのか、に着目して議論しないといけない。多くの国では行政府が権力を握ってしまう。とくに日本では、戦前の天皇制の「勅令」を継承し、内閣府が「政令」をだし、各省庁が「省令」をだし、現場の役人が「通達」をだす。これらのため、議会が作った法律が、行政府の解釈を通し、恣意的に運用される。
さらに、日本は、ロシアと同じく、行政府が教科書の中身に口をだす。日本は、小学校から大学まで、行政府がその運用を監視し、補助金の金額を定める。
西側の「民主主義」は大衆の力を抑え込んでいる。イカサマが潜んでいる。だから、アメリカでは、ワシントンの既得権力層に対する大衆の不満が、6年前、トランプを大統領に押し上げた。2年前の大統領選で、バイデンがトランプに僅差で勝ったが、トランプの得票数は6年前の得票数より多かった。大統領選後の座談会で、中山俊宏はトランプが得票数を伸ばしたという事実をもっと注視し、なぜかを考えないといけないと警告した。
今回のロシアに対する国連の非難決議で棄権した国々が多い。ロシアに対する経済封鎖となるとアジア諸国のほとんどが加わらない。ロシアが悪いがアメリカも悪い。アメリカに対する不信が世界に渦巻いている。なぜなのか。
ロシア軍のウクライナ侵攻を前にし、中山俊宏による辛口のアメリカ政治批判がもう聞けないのはとても残念である。
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