日本語に「悪魔」と「魔物」とがある。この「魔」の字は、「麻」と「鬼」からできている。「麻」は音を表わし、「鬼」は意味を表わす。漢和辞典よれば「魔」の字は、仏法(仏教)で使われ、「人をまどわし、悟りをさまたげるもの」を表わす。サンスクリット語の“mara”を「魔羅」と音訳したことによる。
2500年前のインドの原始仏法の経典『スッタニパータ』に、「おれは悟ったのだぞ、神や魔物なんて怖くない、おれの心を狂わせたり、心臓を引き裂いたり、両足をつかんでガンジス河の彼岸へ放り投げることができるなら、やってみろ」と釈尊(ブッダ)が魔物のアーラヴァカに向かって言ったとある。
仏法では「神」も「魔物」も同じ仲間となる。
白川静は『字通』で、「神」の字は、いなずま(電光)の走るさまをあらわした「申」の字からくる、という。実は、「鬼」の字の上部の「甶」も,もともとは、「申」と書いていた、という。「神」、「鬼」、「魔」は同じカテゴリーである。
物理学に「マクスウェルの悪魔」がでてくる。この悪魔は“demon”で、サタンと異なる。
マクスウェルは現代の電磁気学を完成した19世紀のイギリスの物理学者である。彼は、気体分子運動論を展開した。原子や分子が、気体状態では、色々な速度で色々な方向に動いていると言い出した。これは、現在では、ほとんどの物理学者の共通意見になっている。
マクスウェルが考え出した悪魔(デーモン)は次のようなものである。
気体の入った箱を右と左の2つに仕切って、その間に、閉じた小窓をもうける。仮想のデーモンは、右から速い分子が来れば小窓を開き、左から遅い分子が来れば小窓を開く。そうすると、気体分子に力を加えることなく、右の箱には遅い分子がたまり、左の箱に早い分子がたまる。右の箱の気体の温度は低くなり、左の箱の気体の温度は高くなる。
マクスウェルは、デーモンさえいれば、気体に仕事を加えず、低温の気体と高温の気体と分離できるというものだ。熱力学の第二法則が破られるかもしれない、という主張であった。
このデーモンは、「人をまどわし、困らすもの」である。「いたずらっ子」というニュアンスがある。
このデーモンは新約聖書にたくさん出てくる。新約聖書は最初ギリシア語で書かれた。デーモンは“δαίμων”または“δαιμόνιον”である。日本語聖書では「悪霊」と訳されている。私は「魔物」と訳したほうがよい、と思う。
4つの『福音書』とも、このデーモンは、人間にとりついて、病気をおこしたり、気を狂わしたりするが、イエスにしかられると、おとなしく人間から出ていく。
実は、旧約聖書で、このデーモンの使用例を探すとほとんどない。私の調べた範囲では、『申命記』32章17節、『詩編』106編37節、『イザヤ書』65章11節の3カ所のみである。いずれも、ヘブライ語聖書の異教の神の名を、ギリシア語に置き換えるとき、神の名のかわりに、“δαίμων”または“δαιμόνιον”に置き換えた。ギリシア語では、デーモンは神と同じ意味を持つ語で、「神聖なもの」である。
ヘブライ語聖書の翻訳者が異教の神をまとめてデーモンと言った。それが、新約聖書の時代には、人間をまどわす小さな魔物となったのが、真相のようである。
「悪霊」は、旧約聖書でも新約聖書でも、ギリシア語“πνεῦμα πονηρὸν”を使用する。これは、人間のこころに、悪意や、ウツウツとした不快な気持ちをひきおこすものである。いたずら好きな魔物“δαίμων”あるいは“δαιμόνιον”とは違う。
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