猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

公判から見えてくる軽薄な被告、津久井やまゆり園殺傷事件

2020-02-06 23:45:36 | 津久井やまゆり園殺傷事件


きょう2月6日、津久井やまゆり園殺傷事件の第11回の公判が行われた。あすは、7日は、植松被告の精神鑑定を行った医師からの説明などが行われる。ここでは、きのうときょうの公判を振り返ろう。

きのうは、午前が被害者の遺族による被告人質問、午後が裁判員と裁判長による被告人質問があった。きょうは、遺族の弁護士による被告人質問があった。きょうの公判の詳しいレポートがあがっていないので、きのうの産経ニュースの「全文・詳報・一問一答/相模原殺傷」を中心にまとめてみる。

被告人質問から見えてくるのは、被告のとても軽薄な言動である。

なんとなく津久井やまゆり園に務めて、面倒で大変な仕事だと思うようになった。「重度障害者」を殺した方が社会にとって良いと思い、国会議長にその旨の手紙を渡した。精神病院に措置入院になり、出てきてから、「障害者の安楽死」の考えをまわりに伝えたが、強い反対をうけなかった。自分が殺せばヒーローになれると思い、実行した。

要約すれば、こうなると思う。きのうの公判でのやりとりを書き抜いてみる。

 裁判員「大学卒業後、就職した会社をやめてしまった理由は何ですか」
 被告「仕事が大変だったからです。下請けという仕事は割に合っていないと思いました。本社からの下請けというのは搾取されてしまうと思いました」
    ☆
 遺族「(事件が起きた)津久井やまゆり園に、どうして入った(就職した)のですか」
 被告「たまたまです」
 遺族「コンプレックス(劣等感)が事件を引き起こしたのではと思えますが、いかがですか」
 被告「うーん、確かに、うーん、こんなことはしないでよい社会に…」
 遺族「ゆっくりどうぞ」
 《答えにくい質問だったのか、植松被告は混乱した様子を見せた》
 被告「歌手とか野球選手になれるならなっています。ただ自分ができる中で、有意義だと思います」
 遺族「野球選手になるのと(今回の事件は)かけ離れています」
 被告「なれるならそっちになります」
    ☆
 遺族「(被告が『障害者はかわいい』と友人に言ったということについて)そう思っていたんですか」
 被告「そう思ったほうが仕事がしやすかったのかもしれません」
 遺族「(その後、障害者は必要ないという考えに)変わったのはなぜですか」
 被告「彼らの世話をしている場合ではないと思いました」
 遺族「どういうことですか」
 被告「不幸な人はたくさんいますし、それどころではないと思いました」
    ☆
 裁判官「かわいいと思った方が仕事がやりやすいという言葉もあったが、それは今振り返ってそう思うということか」
 被告「そうです」
 裁判官「素直にそう思っていたのか」
 被告「特に重度障害者の子供はかわいいこともあるのですが、その一瞬はかわいいけど、全体をみたら違うと思いました」
 裁判官「働く中で変わったのか」
 植松被告「はい」
    ☆
 裁判員「入所者家族から感謝の言葉などはありましたか」
 被告「ありましたけど…『若いのにえらい』とか言われても、何がえらいのかと思いました」
    ☆
 裁判員「施設に勤めていなければ、事件はやらなかったかもしれないということはないですか」
 被告「そうかもしれません」
    ☆
 裁判長「捕まることへの恐怖心は」
 被告「ありました。捕まれば楽しいことができなくなってしまう恐怖心がありました」
    ☆
 遺族「責任能力とは、どういうことですか」
 被告「意思の疎通が取れるということだと思います」
 遺族「甲E(私の姉)を殺してどう責任を取ってくれるんですか。私に対して」
 被告「長年育てられたお母さんのことを思うといたたまれなく思います」
    ☆
 裁判長「あなたは自分で責任能力があるといっているが、法律上どういう意味か分かりますか」
 被告「はい」
 裁判長「善悪の責任能力があるということですか」
 被告「はい」
 裁判長「それはなぜですか」
 被告「自分は善悪の判断ができるからです」
 裁判長「自分のしたことは正しいことだと思っていますか」
 被告「事件を起こしたことが正しいかは分かりませんが、考えは正しいと思います」
 裁判長「今日、謝罪をしましたけれど、それは悪いと思ったからですか」
 被告「そういうことです」
    ☆
 裁判長「最後の人を刺して自首をする。後悔したという気持ちは?」
 被告「達成できた安堵(あんど)感がありました」
 裁判長「後悔は全くない?」
 被告「今後のことを考えると嫌な気持ちになりますけど」
 裁判長「今後のこととは?」
 被告「捕まって不自由な生活になるのは嫌だなと思いますけど」

被告を確信犯と思ってきたが、公判での発言をみると、「捕まれば楽しいことができなくなってしまう」という現実に内心かなり動揺しており、自己の崩壊を防ぐために、「安楽死させても仕方がないと思う」と強がっているのが、現在の被告の心のように見える。

こんな男に愛する人が殺された遺族の「せつなさ」を共有できる。

しかし、この軽薄さは、彼ひとりではない。電車に乗っても、スマホでゲームをやっていたり、ネット販売のサイトを見ているヒトばかりだ。生きている喜びがなく、一時的享楽にふけろうとする。

人間って愚かしいものだろうが、もう少し、ものを考えてほしい。


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