猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

立憲民主党代表選立候補者が上品で温和な人ばかりでは面白くない

2021-11-22 22:57:23 | 政治時評

きょう、日本記者クラブ主催で、立憲民主党代表選立候補者4人による討論会が開かれた。NHKがテレビでライブ放送を行っていた。

候補者4人がみんな仲良しであるかのような雰囲気で対立を作らず討論していた。それが、私は大いに不満である。仲良しで意見が一致しているなら、代表選を争う必要がない。討論しても深まらない。

多様性は党の活性化のためにも必要だし、多様性のない党は外からみて、面白くないし、気味が悪い。

自民党総裁選は、河野太郎と高市早苗がいたから、盛り上がったのである。アメリカの共和党の「小さな政府」派の河野太郎と、安倍晋三に応援された国家主義者で軍備増強派の高市早苗とが、論争したから、メディアも扱い続けたのである。

まあ、結果は、「聞く力」の「新しい資本主義」の岸田文雄が勝って、補正予算 55.7兆円のバラマキが始まった。日銀がお札を刷りまくってのバラマキである。しらけきった「喜劇」である。

立憲民主党に左翼バネが起きないのが、とても、残念だ。聞いていると 泉健太は思ったより なかなか賢いのがわかったが、もっと、「成長と分配」に怒らないといけない。「分配」でなく「再分配」でしょう。金持ちからお金をとって、社会保障や福祉を充実する「再分配」が立憲民主党の立ち位置でなければ、自民党と対抗する意味がないでしょう。

朝日新聞・東京大学の共同調査「衆院選当選者アンケート」結果をみると、立憲民主党は共産党と公明党との中間の立ち位置で、自民党、日本維新の会、国民民主党が極右のグループを作っている。メディアのいうような「中道の取り込み」でなく、左と右との綱引きで、中道を左にひっぱらないと、政治に絶望する若者たちが増えるばかりだ。

メディアに騙されるな。共産党と選挙協力をするのが理にかなっている。

平和主義はどこにいったのか。自民党はこれまで国民総生産(GNP)の1%に抑えられていた防衛費を2%にすると言う。軍備を増強したら、本当に中国を抑えられるのか。本当に中国は日本に攻めてくるのか。そんなことは ありえない。防衛費を増やせば、社会保障や福祉の予算が削られるだけである。

日本は、労使協調路線に走ったばかりに、世界でも賃金が低い国になった。政府が企業に賃上げを要請するという問題ではない。本来は、賃上げは施しでない。雇われている人びとが自分の正当な給与を要求すると言う話しである。

派遣労働という中間搾取のあるいまの雇用形態をやめないといけない。労働者の賃金交渉力を高めないといけない。

非正規労働者の賃金が男女とも安すぎる。最低賃金を上げて非正規労働者の賃金の底上げしないといけない。社会保障制度を充実して、失業に脅かされる非正規労働者を国が守らないといけない。

岸田文雄は、賃上げを行った企業に税金を安くする、と言うが、これは、単に企業を媒介にして、国のお金(税か借金)を賃上げ分の給与としてバラまいていることになる。そんなバカなことをするより、最低賃金や生活保護費を引き上げすべきである。

中間層の増大ではなく、貧困層をなくすことである。

原発も計画的に廃炉にしていかないといけない。原発をこれまで2030年に廃炉すると野党が言ってきたのだから、具体的な工程表を立てて法律にし、実行しないといけない。曖昧なままにしては、いつまでも、再生エネルギーに転換できない。国税庁の民間給与実態調査では、電力・ガス業界の給与が他業種より高い。電力労働組合が原発廃止に反対に動いているのは、これと関係しているのではないか。

防衛費の増大、解雇しやすい労働市場、法人税の減税を選挙で訴えている日本維新の会に、立憲民主党が負けてはならない。辻元清美は議席を失って時間があるのだから、この機会に毎日、街頭演説をして、日本維新の会を叩き潰せ。

立憲民主党は左翼の立ち位置に戻るべきである。仲良しクラブではない。


愛すべき子どもたち、新型コロナ後の世界がいま始まる

2021-11-21 21:51:41 | 愛すべき子どもたち

いま、不思議なほど、新型コロナが なりをひそめている。海外では新型コロナの感染がぶり返しているのに、日本では静かになっている。

理由がわからないが、子どもを相手にしている私たちにとって、これは、ありがたいことである。私のいる放課後デーサービスでも、子ども同士が接触しない対面指導に加えて、子ども同士が遊んだり、食べたりすることを、先週から解禁した。教室が、急に にぎやかになった。華やいだ。まだマスク着用が原則だが、うれしい限りである。

うれしいことはそればかりでない。

胆管を手術した子どもがようやく退院できた。炎症を起こして手術の予後が悪く、とても心配だったが、あすからリモート学習に復帰できる。母子家庭の子である。

彼は、物理や数学が好きな工業高校の電気科2年生だ。障害をもった人の義手・義足を開発したいという。人に負けたくないという性格があるので、点数をとることより、好奇心と考える能力を育てたいと思い、高校の範囲を超えた話をしてきた。一般相対論や量子論の話もしてきた。よく、私の話に食らいついてきた子だった。

また、今年の4月から担当した子どもが高校に受かった、と木曜日に連絡があった。この子は会ったときからずっとマスクをしていたので、素顔をしらない。

勉強がまったく嫌いだし、じっさいに、できない。勉強になると全くいじけてしまう。好きなことはゲームである。パソコンゲームやアーケドゲームをしまくっている。中学でパソコン部にはいっているので、プログラミングが好きかと思ってC言語を教えようとしたが、成功しなかった。私の教え方は難しすぎると言う。

彼もユニークな子である。キーボードからだとどんどん文章が書ける。勤め人ではなく自営業になりたいと言う。どんなことをしたいかと問うと、VRカフェを開きたいと言う。安い値段で仮想現実の世界をみんなに楽しんでもらいたいと言う。

彼の受ける高校の入試に面接と作文があった。面接は大丈夫だと本人は言う。親は作文が心配だと言う。キーボードからだと どんどんと書けるから大丈夫だと思ったが、紙と鉛筆をもたすと全然書きだせない。本人は手が自然に震えると言う。書けた文章も、小学校低学年の漢字も書けていず、平仮名ばかりで、読みにくい。せっかくの個性あふれる文章が紙だと展開できない。

こんなユニークな子を見捨てよいものか。

作文の課題を予測して、練習することにした。キーボードから入力した自分の文章を鉛筆を使って紙に写す。筆圧が弱いので、芯のやわらい鉛筆を使う。小学校低学年レベルの漢字は できたら 覚える。句点と読点の使い方をまちがわない。平仮名が多くなって読みずらいときは、1字コマをあけるか、句点をいれる。漢字使用の反対論者の私が、とにかく、読める文章を作成するよう、指導した。

いまは、子どもの自尊心を傷つけにすんだので、ほっとしている。本当は、マス目の原稿用紙に文章を起こすのは、作文という観点からは間違っているのだが。


岸田文雄の「新しい資本主義」はバラマキと経営者を甘やかすだけ

2021-11-20 21:46:12 | 政治時評

きのうテレビで、「新しい資本主義」の1つとして、半導体工場の国内立地を支援すると言っていて、ウソでしょうと思ったが、けさの新聞をみて本当だった。

岸田政権は来月に臨時国会で大型の補正予算を成立させるという。日本は会計年度が4月からなので、この予算は今年の12月から来年の3月までに使う臨時の出費をいう。

経済対策費が55.7兆円、軍事費が7000億超と記事である。過去最高の補正予算である。昨年度のコロナ禍の大型補正予算でも40兆円であった。

財政収入の裏付けがないから、岸田文雄は、バラマキして、国の借金を増やしているだけである。日本の経済界に媚びを売っているのだろうか。こんなことで、「成長と分配」が起きるのだろうか。

ライターの和田静香は「分配」でなく、格差解消のための「再分配」でないとオカシイと言っている。「再分配」とは金持ちから税をとって社会保障や福祉にお金を回すことである。

私も福祉関係の端くれにいて思うのは、一時的な給付金より、恒常的な福祉充実の仕組みを作ってほしいということである。福祉関係はどこもここも人手がたりない。一時的給付金では、人手を増やせない。せっかく、人手を多くしても、お金がつづかなければ、誰かにやめてもらうしかない。一人当たりの仕事量が減れば、スタッフ間のコミュニケーションや集団研修に時間を使うことができる。一時的に給与が増えても、仕事量が多いままでは、士気を高められない。

経済対策と記事に出ているように、経営者を助ける色彩が強い。しかし、企業が自分で解決すべきことに お金をばらまいても仕方がない。

東芝を3分割したのは、東芝が自分を切り売りして、消滅するための準備である。じつは、東芝は非常に優れた半導体技術者たちがいたところである。テレビの解説者が、日本はメモリーだけでプロセッサーの技術がないと言っていた。そんなのはウソである。東芝の技術陣には、顧客のニーズ(need)にもとづいてプロセッサーを設計する技術があった。私のいたIBM研究所にも、東芝の営業陣が売り込みにきていた。

東芝の経営陣は、半導体技術陣を見捨てて、国と結託して、原子力発電関係のビジネスに走ったのである。東芝の中で技術的にもっとも優秀な半導体部門を売り払ったのである。

政府は、各社の半導体部門を寄せ集めて1つの会社を作ったり、各社の液晶部門を寄せ集めて1つの会社を作ったりしてきたが、こんなことが成功するはずはない。各社は本体が儲かるように、本質的に大事な特許などを新しい会社に出すはずがない。切り捨てられた部門の寄せ集めは、もとの本社の都合に合わせて動くことなる。

こんどの半導体工場の誘致も、半導体を使う企業、例えば、自動車メーカなどのためにであって、日本の半導体技術者たちは経営陣に見捨てられたままである。

岸田文雄は、安倍晋三と同じく、「国家資本主義」をめざしているにすぎない。経営者を甘やかしても、腐敗が拡大するだけである。岸田は聞く力を吹聴したが、彼のノートの中には、「へのへのもへじ」などが書きこまれているだけであろう。叩き上げの菅義偉よりも聞く力が劣る。日本国民は、最低の総理を選んだ。


豊永郁子の中間層拡大(アリストテレス論)に同意できない

2021-11-18 23:28:09 | 思想

 

憲法学者の石川健治は、一カ月前の10月13日の朝日新聞に、『日本政治の現在地 民主的「皇帝」は生き続けるか』を寄稿した。この〈民主的「皇帝」〉とは平成天皇のことではない。岸田文雄のことである。石川は、岸田が右の民意も左の民意も取り付けたルイ・ボナパルトのようになるかもしれない、と言うのである。そして、それは喜劇であると、マルクスの名作『ルイ・ボナパルトのブリュメールの18日』を引用してのべるのである。喜劇であったというのは、当時のフランス国民のドタバタを指すのである。

まさか、日本でそんな愚かなことが起きないと思ったら、そうでもないようだ。

今日の朝日新聞で政治学者の豊永郁子が岸田文雄を「民主主義のよき擁護者――要所を理解している」と持ち上げているのだ。『(政治季評)岸田氏とアリストテレス 「中間層」にみた民主主義』である。

彼女の根拠を見ていこう。

その1。自民党総裁選で開口一番「自民党の役員人事について任期1年、最長3期までという任期制限を提唱した」。この「開口一番」に注意が必要で、その翌日には、この「任期制限」を引っ込めている。それ以降、これを提唱することはない。石川のいう「喜劇」とは、このことをいうのである。岸田は、単に自分が勝ち残るために、なんとでも言う男なのだ。

任期制限は昔から自民党の党規にあり、安倍晋三がその制限を修正して長期政権をなしたとき、岸田はそれを支持したのである。

その2。経済政策では、「広がる経済的格差の問題に対して、トリクルダウン(一部が富めば皆が潤うとする)でもセーフティーネット(困窮した一部を救うとする)でもなく、中間層の拡大を処方する」。「セーフティーネットでもなく」に注意してほしい。

これを豊永は「アリストテレスの論」だと支持する。彼女は言う。

《 中間層は消費を生み出し、教育や住宅、健康に投資し、良質な公共サービスを支持し、腐敗と戦い、民主主義の諸制度に信頼を寄せる、これらにより社会の安定と経済成長を支えると言われている。》

豊永は、客観性があるかのように「言われている」という語尾を付け加えているが、そんな中間層の人を私は見たことがない。彼女はどれくらいの収入のある人を言っているのだろうか。彼女はさらに言う。

《 ほどほどの経済基盤を落ち、安定した人生を送る中間層は、ねたむことも さげすむことしない。》

《 これに対して富者は傲慢さや さげすみを、貧者は卑屈さや ねたみを有し、この二極に引き裂かれた国家、あるいはどちらか一極が支配する国家は安定せず長くは続かない。》

まず、アリストテレスはプラトンと同じく「民主主義」に反対した人である。「教養」あるエリートによる政治を提唱した人である。これに対し、アテネの民主主義は、字も読めない人びとによって、守られていたのである。

アリストテレスは中庸を良しとした凡庸の人である。彼が教育したアレキサンダー大王は彼をバカにして武力で世界征服に向かった。

つぎに、「貧者は卑屈さや ねたみを有し」は失礼でないか。「卑屈さ」「ねたみ」はほとんどの人が持つのではないか。私の経験では、中間層の人こそ、「媚びて」権力の座に近づくではないか。「卑屈さ」「ねたみ」は「貧者」の特性ではない。

中間層を増やすのではなく、貧困層を引き上げることこそ、政治の課題である。J.K. ガルブレイスやジョン・ロールズは、生産手段の発達した現代こそ、それを実現するチャンスであると言っている。

その3。「岸田氏は過去10年間30冊近いノートに直接聞き取った人々の声を書きとめてきた」。これは、岸田のパフォーマンスである。総裁選の頃に、メディアの前で、小さな手帳のようなノートをとりだし、自分は聴くのが得意であると言った。これまで、しなかったことだ。それに、これまで、どんな声を聴いたかを話すことさえしていない。誰かがパフォーマンスを入れ知恵しただけである。

岸田に対する豊永郁子の期待は根拠がない。きのうの加藤淳子も、白波瀬佐和子も、これら大学教授は本当の社会を見ず、妄想で語っている。私は、現実を見ている宇野重規の「民主主義は平等である」を支持する。


「ばらまかない分配」で「財政規律」や「ジェンダー是正」しか言わない東大教授たち

2021-11-17 23:23:09 | 社会時評

きのうの朝日新聞『(耕論)ばらまかない分配とは』では、ライターの和田静香だけが、すべきは、「分配」ではなく、「再分配」だと言っていた。金持ちから税をとり、社会保障や福祉を充実させるのが「再分配」である。一時的な給付金でなく、持続的制度でなければならない。

この(耕論)には、3人の女性論者が参加している。和田以外は、東大の教授である。

加藤淳子の切り口は、借金をしてまで、給付金などの分配政策を推し進めるのは、いかがなものかということである。給付金は、選挙目当ての一時金である。政治家が自分のお金をだす、通常の買収よりもっとタチが悪い。国のお金をばらまくのである。和田が言うように、国の借金だから、いずれ、国は、国民からそのお金を取り立てる。通常の買収よりタチが悪い。

近所の床屋のじいさんは、新型コロナで客が来ず、家賃を払うために借金だけ増えていくと嘆いている。960万円未満の所得の家庭の子どもに一律の給付を行うことは意味があるのか、と怒っている。

ところで、加藤の問題は、《他の先進国では、公共支出は財政規律が維持されて初めて可能になる》と言っていることである。加藤は社会保障や福祉などの「再分配」をどのように考えているのだろうか。

「再分配」は、自分の労働の成果が奪われている人びとが、奪われたものを取り返すことに、もともと起因する。それに、本人がどうしようもない事情があるかもしれない。余っている人が、足りない人にあげたって良いでしょう。

国税庁の民間給与実態調査によると、新型コロナ以前の2019年に、1000万円以上の給与をもらっている被雇用者は256万人いる。いっぽう、200万円以下の給与をもらっている人は333万人いる。給与の1000万円以上の分を200万円以下の人びとに配るとすると、一人あたり、389万円配ることができる。

財政規律と言う前に、金持ちからお金をとりたてれば、社会保障や福祉のお金は出てくるのである。

私の経験から言うと、給与の額は、その人の労働量より、その人のあくどさに比例している。そうでなければ、そのような大きな格差は生じない。

白波瀬佐和子は、《コロナ禍では「分配」のひずみが社会的に弱い立場にある人たちに集中しました》と現状をみている。そして、《とりわけ女性への影響は深刻》という。

ここまでは良いが、《男女間で分断された労働市場です》となると、私は、なにか不安を覚える。たしかに、日本には《伝統的な男女の役割分担が深く絡み合い》、《ジェンダー格差の是正》が必要である。しかし、女性の経営者が増えて、彼女らが他の人から搾取すれば、よいわけでない。人を使って収入を増やすことは、女も男も、犯罪である。

2019年の非正規の給与分布をみると、男の中央値は276万円である。女の中央値は250万円である。非正規の半分の人は、この中央値より低い給与しか、もらっていないということである。

どんな仕事も必要であるから、社会にあるわけだ。給与に格差があるのはオカシイ。電気やガスの会社の社員の給与が、他の業種の人びとより、ずっと高いのはオカシイ。東大の教授の給与が高いのもおかしい。総理大臣や国会議員の給与が飛びぬけて高いのもオカシイ。

そして、株式を保有するだけで、高い所得を得るのは、もっとオカシイ。

したがって《ジェンダーの格差》の是正だけでは問題が解決せず、資本主義社会の否定までいかないといけない。なぜ、教養ある東大教授の白瀬は、そこまで言及できないのか。財政規律しか言わない東大教授よりマシだが、それでも情けない人と思ってしまう。