猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

極右政党の日本維新の会の危険性をもっともっと認識すべき

2022-05-19 22:41:28 | 政治時評

ことしの1月21日、菅直人(かんなおと)が、橋下徹のことを「弁舌は歯切れが良く」 「ヒットラーを思い起こす」とツイッターに書いてネットを騒がした。私は、立憲民主党が日本維新の会に近づくのを牽制するために、菅直人がわざとこう発言して、さわぎを起こしたのだと思っている。

日本維新の会は極右の政党である。岸田政権を右から揺さぶるための安倍晋三の別動部隊を思わせるほど、過激な右翼である。

2月17日の朝日新聞の記事『元首相の介入 石川県知事選』に、つぎのように記されている。

<2月8日、日本維新の会が馳氏の推薦を打ち出した。安倍氏は決定の直後、周辺にこう語ったという。「私が維新に頼んだけどね。情勢調査も良くなってきた」。>

昨年の衆院選での日本維新の会の公約をひろってみよう。

<世界平和に責任が果たせる国に向け、防衛費のGDP1%枠を撤廃し、テロやサイバー・宇宙空間への防衛体制を強化する>

<解雇ルールを明確化するなど規制改革で労働市場の流動化・活性化も促す>

<廃炉技術の伝承と使用済み核燃料の有毒性低減のため、小型高速炉など次世代の原子炉の研究開発を強化・継続>

日本維新の会は、軍備増強、雇用者の権限強化、原発推進を唱えていたのである。

さらに、今年、2月24日にロシア軍のウクライナ侵攻が始まると、日本の維新の会は「核共有」を唱えた。「核共有」とは、アメリカがヨーロッパに核を配備するときの体裁を繕った用語で、核爆弾をNATO加盟国に配備し、使用にあたってはアメリカの許可を要するのに、自国の爆撃機を使って核攻撃しないといけないものである。この「核共有」は軍事評論家からはすごく不評であった。

きのう5月18日に、日本維新の会は自衛隊を憲法に明記することを、夏の参院選の党公約にすると発表した。具体的には、憲法第9条につぎを加える。

<前述の範囲内で、法律の定めるところにより、行政各部の一として、自衛のための実力組織としての自衛隊を保持する。>

これは、2018年に安倍晋三が提案したものだ。自衛隊は、憲法9条の解釈にもとづき、すでに法律で規定され、存在する。わざわざ、憲法に「自衛隊」を書き加えると、軍国主義へのターニングポイントになる危険がある。じっさい、自民党の一部と維新の会は「自衛」のために相手国へのミサイル攻撃の軍備をもつことを主張している。

きょうの朝日新聞のインタビュー記事「委縮するメディア」で放送ディレクターの斉加尚代がつぎのように証言する。

<10年前に大阪維新の会ができて以降、政治主導の(道徳重視の)教育改革が進みました。>

<12年大阪府立高校の卒業式で」教職員が国歌斉唱をしているか口元をチェックされた>

大阪の人は、どうして、こんな日本維新の会に票をいれるのだろう。もちろん一部であろうが、大阪では選挙に勝っている。

日本維新の会の思想は90年前のナチスに類似している。菅直人ではないが、自由というもの、個人というものをだいじにする人は、日本維新の会の危険性をもっともっと指摘すべきである。


ロシアの軍事侵攻で人を殺すことの心の抵抗が低くなっていないか

2022-05-18 23:10:08 | 戦争を考える

きょうこのごろ、ロシア軍のウクライナ侵攻の影響をうけたのか、侵略者を殺すことをためらわない人たちが増えたような気がする。もしかしたら、もともと人を殺したくて うずうずしていて、ウクライナ侵攻を機に、戦争をしたい、と本音を言っているのかもしれない。ウクライナ支援をするにしても、人を殺すことはあくまでいけないことだ、と肝に銘じる必要がある。

人を殺すゲームがあるし、マンガやアニメや映画もある。こうした世の中では、「正義」の御旗がたてば、強力な武器をもって人を殺しまくりたい気になるのかもしれない。

しかし、実際の戦争は司令官をのぞいて、地味で自由もなく死の危険に絶えずさらされる。そして、正義も糞もなく、ただただ、人間性を失っていくだけである。戦争は地獄につながっている。このことを、子どもたちに教えないといけない。

ウクライナのマリウポリで製鉄所に立て籠っていたウクライナ兵士たちが「退避」したと、きょうの新聞にのっていた。正しくは「退避」でなく、ロシア軍に彼らが「投降」したのである。新聞によれば、これから彼らはロシア軍の尋問をうける。ロシアは戦争をしているといっていないので、捕虜ににどのような人権の保障があるのかは、わからない。

それでも、この「退避」という表現は、ウクライナ政府が彼らによく頑張った、任務は完了したから投降してよいとの許可を出したことを受けてのことである。

日米戦争における日本政府の「玉砕」の指示と比べ、ウクライナ政府の決断はずっとましである。自分の命を守るために投降する自由もあるのである。

この機会にフィンランドやスウェーデンがNATOに参加申請をしたが、日本はどうするのか冷静に判断しないといけない。

アメリカ軍の基地が日本のいたるところにあること、原発が日本海側に集中していることなども考え直さないといけない。アメリカ軍が本当に日本の国民を助けるのか、そんなことができるのか冷静に考えないといけない。アメリカの軍事基地は、アメリカ本土を守るために配置されているのではないか、と疑わないといけない。アメリカの要請で、すでに自衛隊があるにもかかわらず、わざわざ、憲法に自衛隊の設置を明記しようとする安倍晋三の意図を考えないといけない。

もう一度、人を殺さないですむために、日本はどうするのが良いのか、冷静に考えなおす必要がある。


諸富徹の「日本の製造業はモノからサービスへとかじを切れ」は正しいのか

2022-05-17 22:47:36 | 経済と政治

きょうの朝日新聞にマクロ経済学者 諸富徹のインタビュー記事が載っていた。大見出しの『資本主義 日本の落日』に小見出し「環境対策を軽視し ものづくりを過信 世界の潮流乗れず」「成長がなければ 固定化する格差 産業構造変革を」がつく。デジタル版では大見出しが『「老衰」する日本の資本主義 経済学者・諸富徹さんの処方箋は』である。

諸富は私より20年若い。しかし、彼の言っていることは何かまちがっている気がする。

「落日」とか「老衰」とかいう言葉の踊る諸富の主張を要約すると、「日本の製造業はモノからサービスへとかじを切らなければいけない」ということになる。

私は「ものづくりは技術革新の源である」と考える。私は14年前までIBMに務めていたが、「サービス」とは金融業のことであり、飲食店のことではない。「ものづくり」は依然としてだいじである。

アメリカの支配階級の思考法の優れている点は「システム化」「戦略的思考」にある。すななわち、古代ローマ人の思考法を引き継いでいるのだ。

トランプ政権あたりから、アメリカの仮想敵国が中国になっている。

それ以前は、中国は13億の人口をかかえ、眠れる巨大市場と見なされていた。日本の人口の10倍だから、いずれ、日本より10倍、モノが売れるはずと考えられていた。

それが、トランプ政権から、中国がアメリカの経済的優位を脅かす存在になるという見方がアメリカでの主流になっている。

アメリカ政府やシンクタンクの警戒心はあたっている。中国社会にはシステム化や戦略的思考の基盤があり、その中で、ものづくりをしている。

アメリカの「ものづくりからサービスへ」の流れは、アメリカ人の中から勤勉さが失われつつあるという現実に押されての話である。「ものづくりからサービスへ」が正しい選択というより、それしか できないという現実を受け入れたとのことである。

もっとも、アメリカは「ものづくり」をやめたわけではない。移民を受け入れ、アメリカの豊かな生活にあこがれひたすら働く集団を用いて、「ものづくり」を続けている。アメリカは兵器の開発では質量ともに世界のトップである。

諸富はやたらと「デジタル化」に日本は遅れたと言う。日本で「デジタル化」が日々の経済活動のなかで進まないというのは、「システム化」の発想が定着化しなかったということである。個々の会社を見れば、コンピューターの利用は進んでいると私は思っている。

私は、「デジタル化」が遅れているのは製造業より行政府であると思う。

政府が日本の経済を引っ張るという考えに根本的間違いがあると思う。明治の「文明開化」の亡霊が政府の中に残っている。経済産業省の役人にそんなことができる「脳みそ」が詰まっているはずがない。「自由市場経済」と言いながら、上に忠誠を誓う役人が、市場に介入している。

日本政府が「様々なステークホルダーに配慮するあまり、痛みを伴う決断を先送りしてきた」と諸富は言う。「生産性の低い産業が人件費カットで生き延びるのを防ぎ、産業の高付加値化」を諸富は促す。政府の基盤は議会の多数派であることだ。議員は選挙で勝ち残りたい。だから、政府が「痛みを伴う決断」ができるわけがない。

日本政府は市場に直接介入することはやめなければいけない。政府が企業の合併をおし進め、大企業をつくる必要はない。日産や東芝やパナソニックの失敗の原因は、経産省の指示に従ったり、「財テク」に走ったりしたことにある。

政府がやるべきは戦略的思考のできるエコノミストやストラテジストを育てることである。人を一時的に一堂に集め、経済分析と戦略の議論を促し、そのレポートを発行する。直接、経済に介入しない。無能な経営者を助けない。

すなわち、経済産業省が、かってに、電力の再生エネルギーの比率、原発の比率を決めて電力会社に押しつけてはいけない。通産省の指示に従っていれば、電力の地域独占が守られるなんて、あってはならない。

製造業がエネルギーや資源を節約する「ものづくり」を進めていくのは当然なことである。しかし、人間は食べるもの、着るもの、雨や寒さを防ぐ住処が必要である。モノはつくっていかねばならない。モノをつくっている国にこそ、未来がある。

アメリカが「モノからサービスへ」と転換してやっていけるのは、「軍事大国」であるからで、日本が見習うべき国ではない。日本に住む私たちは、ものづくりの勤勉な国民でありつづけて良いのだ。

[補足]

ものづくりのなかに、私は、製造業だけでなく、農業や建築業なども含めている。


TBS報道特集「1971年国会爆竹事件」は民主主義の否定か

2022-05-15 23:15:07 | 国家

きのうTBS報道特集で放送した「1971年の沖縄返還に抗議する国会爆竹事件」が、ツイッター上で大きく盛り上がったようだ。

日本政府の決定に従うのが正しいと考えるか、琉球(沖縄)人は自分の将来を自分で決める権利があると考えるかで、その評価が大きく分かれた。

国会爆竹事件は、琉球(沖縄)から見れば、「国会に鳴り響いた爆竹 舞うビラ 米軍基地を残したままの沖縄返還 欺瞞に捨て身の告発」(沖縄タイムズ2021年10月18日)となる。

日本政府に従うべき、自民党は正しい、首相は偉い、佐藤栄作は正しい、と思う人たちからすると、国会で佐藤栄作が演説中に沖縄人3人が傍聴席で爆竹をならすことに、ツイッター上でつぎのような反応となる。

<いついかなる状況であっても 暴力で現状を変更しようとする行為はテロ テロリストは卑劣極まりない>

<TBS報道特集で沖縄国会爆竹事件を肯定されていた。テロを肯定するテレビ会社があっていいのだろうか。>

テロとは自分の意見を通すために相手に恐怖を与えることだ。普通は、殺すとか、傷つけることをさす。傍聴席で爆竹をならし、佐藤栄作の演説を妨害しただけで、爆竹を佐藤栄作に投げつけたわけではない。テロとは大げさで、「欺瞞に捨て身の告発」のほうがあたっている。3人はすぐさま取り押さえられ、日本での裁判に付される。「捨て身の告発」である。表現の自由の範囲とも考えられる。

また、つぎのようなツイッターがあった。

<国会爆竹事件の裁判での“日本語で話しなさい”って差別的取り扱いだろうが、これは、津軽弁が強い被告の場合も当時は同様のケースが起きてたはずで沖縄問題とは別個に捉えないと>

裁判官には、日本語を話せなど言う権利はないと私は思う。琉球弁であろうが津軽弁であろうが、自分の国の言葉で話す権利はある。通訳をつけて欲しい、という弁護人の主張は認めるべきである。考えてみれば、日本の役人にとって話している言葉がわからない琉球人を、琉球の土地と共に、日本がアメリカから受け取り、これまでのアメリカの軍事基地をそこに押し込むというのが、沖縄返還の実態である。

これをつぎのように茶化すのは無神経だと思う。

<他の方言でも「わかる言葉で」って言われると思うんだよな。被害者意識強過ぎん?植民地?植民地にこんなにお金注ぎ込む!?で……ハンスト扱いちっちゃwwwww>

琉球人はつぎのようにつぶやく。

<裁判官が日本語使いなさい。涙が流れました。たった20年前に私も言われました。名札を見て、もしかして沖縄ですか? 私は、「はい」と答えると、あら日本語上手ですね。私はお客様歴史勉強した方がよろしいですよ、支配人の説教くらう。>

琉球人には、日本で見かけない名前があるので、名札で、わかる人にはわかってしまう。

また、ツイッターの中に「方言札」という言葉があったが、ネットで調べると、つぎの説明があった。

<標準語の使用を強制させるため、学校で方言を話した者に、罰として首から下げさせた木札。 各地にあるが、特に沖縄で厳しく行われ、明治末から第二次大戦後まで用いられた。>(コトバンク)

私がカナダにポストドクターで渡ったとき、大学院生にアイルランドからの学生がいて、ちょっと前まで、学校で英語を使わないとイギリス人から体罰をうけ、英語を使いますとの木札を首につけられたと言っていた。

琉球はもともと独立国家で、幕末に島津藩に属領にされた歴史がある。ヨーロッパの感覚では、いかに集団が小さかろうが、聴いて言葉がわからなければ、独立国家として承認されてもおかしくない。そして、日本国内のアメリカ軍の基地の代替地とされることを拒否するのは、当然のこととみなされるだろう。

つぎのツイッターのコメントに私は共感する。

<公判で被告の青年たちが一貫して沖縄語を使い裁判長から退廷を命じられたことは返還直前のオキナワからヤマトへの最大限の抵抗だった。(日本人に沖縄の運命を決定する権利はない)という言葉は重い。>

<昔「ゆきゆきて神軍」奥崎健三を見たが、何かそんな番組やった。「山崎天皇を撃て」と昭和天皇にパチンコを3発打ったが、そんな気持ちやったんやろな。>

<国は復帰50年をお祝いモードだが、金平キャスター『ウクライナと地続きになっているのは沖縄ではないか』沖縄は戦争最前線にならないことを祈りたい。>

現在、沖縄でのアメリカ軍基地反対運動を取り締まる機動隊は、他県から集めた警官から成り立っている。まさにヤマトからオキナワへの占領軍である。


円安によるインフレは悪いインフレ、円安による企業の最高益も限定的一時的

2022-05-13 23:39:35 | 経済と政治

けさのテレビ朝日『モーニングショー』で、コメンテーターの玉川徹がインフレは悪いことではないと言っていた。けさの朝日新聞の1面には『円安 企業に最高益』と出ていた。本当に日本の経済の未来は明るいのだろうか。

私にはそうでない気がする。無責任に明るい未来を語るのは政治家や経営者の質の劣化を招く。

私の兄の娘は離婚と新型コロナ禍を受け、非常に経済的困難に陥っている。元夫が経済的困難にあるので、慰謝料、養育費は出ない。飲食店で非正規で働いていたから、新型コロナで職を失った。区役所に相談にいったが、らちがあかない。私は、公明党や共産党が救いの手を差し伸べてくれるかと思っていたが、そうでもないようだ。

一番の問題は住居費である。契約者の元夫と離婚したので、集合住宅から出ていくように家主に言われているが、つぎに住む所が見つからない。定職がないと契約で断われる。私も何とかしたいと思ったが、定職がない老人の私は保証人になれない。

このような状況に直面すると、公的住宅が整備されているロシアやウクライナがうらやましい。

日本は「自由主義国家」というが、衣食住に苦しむ「自由」しかない。物価の上昇を計算するときに、生鮮食品を除外する。ようやく食べていける層にとっては、インフレは悪いことである。食べていけないことになる。

衣服を扱うリサイクルショップが活気ついていることは、「食」と「住」の高騰を「衣」の節約で補い始めたからではないか。所得があがらないかぎり、インフレにいいことはない。年金生活者には苦しい生活しか待っていない。

朝日新聞の『円安 企業に最高益』という見出しも罪である。円安で最高益が出る企業は限られている。しかも、ドル建てで、その企業の売り上げが増えたわけではない。企業の最高益は海外市場での競争力を意味してはいない。

企業の売り上げとコストをドルで考えてみよう。利益は売り上げからコストを引いたものである。コストのうち、人的コストと生産設備の償却費は円建てであるから、円安になると、ドル建てでは一時的に下がる。いっぽう、部品や材料のうち、海外からの輸入分はドル建てであるから、下がらない。いっぽう、売り上げのほうは、海外市場を相手にしている企業は、ドル建てでも下がらない。国内市場を相手にしている企業では、いままで通りの国内の売り上げでは、ドル建てにすると下がる。

したがって、海外への売り上げが多い企業以外は、ドル建てで考えると、経営が苦しくなる。「円安 企業に最高益」という「企業」は非常に限られる。したがって、国内市場がメーンの企業は、原材料や部品の高騰分を価格に上乗せするしかなくなる。すなわち、円安がインフレをを引き起こす。このインフレが、輸出企業の国内から部品の調達費や生産設備更新のコストを引き上げる。

賃金もあがらなければ、働く者には地獄である。暴動が起きるかもしれない。企業は賃金上げざるをえないだろう。しかし、年金や生活保護費などはあがるのだろうか。障害者にとってはインフレは地獄である。

玉川が良いインフレといった1970年代は、経済の規模が拡大して、労働者の需要が高まり、賃金が上がり、それが、消費需要を引き起こし、物価があがったのである。

しかし、この経済規模の拡大は、アメリカ市場を侵食することで成り立ったのであり、日米経済摩擦を引き起こし、1990年に日本はバブルの破綻という形でアメリカの軍門にくだったのである。1970年代の良いインフレはもう2度と来ない。

円安が進行し、物価があがるという現在のインフレは、経済規模の拡大を伴わないから、悪いインフレである。

政治家と経営者の質が問われる時代に突入したのである。