[荒川静香] ブログ村キーワード
本日の「はなまるマーケット」、「はなまるカフェ」のコーナーに
荒川静香さんがゲスト出演されていましたね。
詳細はこちら。
いろんなお話をされていましたが、今回特にうなずけたのは、大学時代のアルバイトのお話。
最初のバイトはコンビニでレジうちされていたのですが、
「わかば」とお客さんに言われても、なんのことかわからなかった・・・
18歳の少女には、ひらがなで「わかば」と書かれているたばこだとわかったのは
お客さんの言葉からでした。
荒川さん「花の女子大生とは縁のない、学校と練習とバイトの掛け持ちの大学生活でしたが、
あのときの経験が、現在の生計基盤になっている。」と。
この言葉を聞いて、以前に、あるジャーナリストの記事を目にしたことがある私は、ある文章を思い浮かべていました。
“荒川さん「大学を卒業し、社会人になったときに、普通の一般社会人なら自分で働いて、自分で生計を立て、自分で人生を築いていかなきゃならないのに、
私はコーチの言うままに演技している。それはおかしいんじゃないかと思った。
それ以来、スケートをやる意味を深く考えるようになったんです」
自分で考え、自分で決断し、自分で行動する。そして責任は負う。こんな考えが根底にあった荒川さんは、誰に相談することもなく、コーチを変えた。
「でも一応タラソワさんに、同時にモロゾフさんにも指導を仰ぎたいと相談したんですけど、一緒には出来ないといわれ、
私の伸びしろを引き出してくれそうなモロゾフさんを選びました。迷いませんでしたね」”
大学時代に、アルバイトをしていた経験が、自分で考え、自分で決断し、自分で行動する。そして責任は負う。
そういう荒川さんを育てていったのだと。
「はなまるカフェ」で放送されたものではないのですが、私の頭の中では
先に記したジャーナリストの方の文章が次々浮かんできました。
“五輪出場切符を獲得した全日本選手権まで、SPはラフマニノフの曲を使っていた。
しかし、フリップに踏み切るときバイオリンの深い調べを身体が拾ってしまい、ジャンプのタイミングがずれてしまっていた。
その微妙なズレは、実際に高いレベルで演技した人でなければ察知できない領域でもある。
技、音楽、自分が独立していて、それが一体にならないと納得のいく演技は出来ないと荒川さんは考えたという。
フリーにはプッチーニのオペラ「トゥーランドット」を選んだ。
荒川さん「自分の身体の細胞すべてが、曲の物語性やリズムをキャッチし、それを無意識に表現できた。
<心で滑る曲>というものがあって、どんなに技を磨いたところで同じように表現できるものではない、と私は思う」
荒川さんの大きな決断は金メダルを引き寄せた。
だが、「もしメダルを獲れなかったとしても、自分で決めたことに後悔はしなかったと思う」
荒川さんの栄光は、自分と深く対峙し、スケートをやる意味を問うことから始まった。
自分を知れば足りない部分も明確になる。それを補ってくれるのは誰なのか。技術力は与えられるものではなく求めるもの。・・・”
本日の「はなまるマーケット」、「はなまるカフェ」のコーナーに
荒川静香さんがゲスト出演されていましたね。
詳細はこちら。
いろんなお話をされていましたが、今回特にうなずけたのは、大学時代のアルバイトのお話。
最初のバイトはコンビニでレジうちされていたのですが、
「わかば」とお客さんに言われても、なんのことかわからなかった・・・
18歳の少女には、ひらがなで「わかば」と書かれているたばこだとわかったのは
お客さんの言葉からでした。
荒川さん「花の女子大生とは縁のない、学校と練習とバイトの掛け持ちの大学生活でしたが、
あのときの経験が、現在の生計基盤になっている。」と。
この言葉を聞いて、以前に、あるジャーナリストの記事を目にしたことがある私は、ある文章を思い浮かべていました。
“荒川さん「大学を卒業し、社会人になったときに、普通の一般社会人なら自分で働いて、自分で生計を立て、自分で人生を築いていかなきゃならないのに、
私はコーチの言うままに演技している。それはおかしいんじゃないかと思った。
それ以来、スケートをやる意味を深く考えるようになったんです」
自分で考え、自分で決断し、自分で行動する。そして責任は負う。こんな考えが根底にあった荒川さんは、誰に相談することもなく、コーチを変えた。
「でも一応タラソワさんに、同時にモロゾフさんにも指導を仰ぎたいと相談したんですけど、一緒には出来ないといわれ、
私の伸びしろを引き出してくれそうなモロゾフさんを選びました。迷いませんでしたね」”
大学時代に、アルバイトをしていた経験が、自分で考え、自分で決断し、自分で行動する。そして責任は負う。
そういう荒川さんを育てていったのだと。
「はなまるカフェ」で放送されたものではないのですが、私の頭の中では
先に記したジャーナリストの方の文章が次々浮かんできました。
“五輪出場切符を獲得した全日本選手権まで、SPはラフマニノフの曲を使っていた。
しかし、フリップに踏み切るときバイオリンの深い調べを身体が拾ってしまい、ジャンプのタイミングがずれてしまっていた。
その微妙なズレは、実際に高いレベルで演技した人でなければ察知できない領域でもある。
技、音楽、自分が独立していて、それが一体にならないと納得のいく演技は出来ないと荒川さんは考えたという。
フリーにはプッチーニのオペラ「トゥーランドット」を選んだ。
荒川さん「自分の身体の細胞すべてが、曲の物語性やリズムをキャッチし、それを無意識に表現できた。
<心で滑る曲>というものがあって、どんなに技を磨いたところで同じように表現できるものではない、と私は思う」
荒川さんの大きな決断は金メダルを引き寄せた。
だが、「もしメダルを獲れなかったとしても、自分で決めたことに後悔はしなかったと思う」
荒川さんの栄光は、自分と深く対峙し、スケートをやる意味を問うことから始まった。
自分を知れば足りない部分も明確になる。それを補ってくれるのは誰なのか。技術力は与えられるものではなく求めるもの。・・・”