2010-0831-yhs737
待ちをれば珍らかなりや富士の見ゆ 悠山人
○俳句写真、詠む。
○この夏、ほとんど富士山は全容を現わさなかった。きのうの夕方になって、彼女は悠山人を憐れんで、少しの間だけれど、姿を見せてくれた。きょうは葉月尽日。
□俳写737 まちをれば めづらかなりや ふじのみゆ
【写真】夕方の望遠撮影なので、写真としてはかなりフラットである。(追記)後日、翌日撮影の花をコラージュ。
【資料】たまきはる1
枕詞。語義は未詳。『万葉集』において、「命」「うち」「幾代」「磯」「世」「我が」などに掛かる例を見るが、その掛かり方ははっきりしない。その後平安時代中頃まではほとんど用いられず、院政期に歌学の発達と『万葉集』の再評価の中で発掘された言葉である。たとえば『堀河百首』における「玉きはる命も知らず別れぬる人を待つべき身こそ老いぬれ」(一四八二・藤原顕仲)などである。このように「命」に掛かる例が時代を通じて最も多い。以後、「秋の月たまきはるよの七十路にあまりて物は今ぞ悲しき」(拾遺愚草・一四三五)など、藤原定家を中心に新古今歌人の間で流行を見た。「命」「我が身」「世」などに掛かるその用法は、強い自己意識を背後に抱え込んでいる。中世では、「おちまさる袖の涙の玉きはる此の身やかぎり恋は尽きせじ」(草根集・六六五〇)など、正徹が独自な使用法を見せている。(渡部泰明)
-出典:久保田淳・馬場あき子編『歌ことば歌枕大辞典』、角川書店、p.533f。