当世絶大な権力をふるう藤原道長が、おみなえしの花の枝を折って、才気煥発の紫式部に与え、一首詠ってみよ、と命じた。そのとき才女、少しもあわてず、ちくりと皮肉も込めて・・・。
ところが海千山千の道長、さらりと切り返す(補説)。
ひらかなy125:おみなえし いまをさかりと つゆもしり
わたしのほうへ むきもしないわ
ひらかなs1565:をみなへし さかりのいろを みるからに
つゆのわきける みこそしらるれ
【略注】○女郎花=(をみなへし)おみなえし。この漢字表現を、何とか悠山人流に換えられ
ないかと、辞書類にあたったが、長い歴史を背負っているので、難しい。古くは「をみ
なめし」とも表記し、能演目にもあるが、さらに調べると、織り関連の語であることが
分かってきた。そこで、もしかしたら「をみなめし=女召」、花をつけて「女召花」など
どうだろうか、という考えに思い至った。碩学諸子に知恵をお借りしたいところだ。広
辞苑さん、いかが?
○分きける=(草露を)仕分けて、差をつけて置いた。「露」は賜題者の道長を、女召
花(おみなえし)は式部を、それぞれ暗示。全体として作者の容色の衰えへの懸念を
も表現する。
○紫式部=悠024(07月26日条)既出。
【補説】道長返歌。
1566 白露は分きても置かじ女郎花
心からにや色の染むらん 藤原道長
つまり、女召花(おみなえし)に露が少ないといって、露のせいにするのは、お門違い
というもの。美しさは自身から出て来るものだよ、と軽くあしらったのである。この勝負
の帰趨は?