悠山人の新古今

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125 おみなえし今を

2005-12-14 06:00:00 | 新古今集

 当世絶大な権力をふるう藤原道長が、おみなえしの花の枝を折って、才気煥発の紫式部に与え、一首詠ってみよ、と命じた。そのとき才女、少しもあわてず、ちくりと皮肉も込めて・・・。
 ところが海千山千の道長、さらりと切り返す(補説)。
 ひらかなy125:おみなえし いまをさかりと つゆもしり
          わたしのほうへ むきもしないわ
 ひらかなs1565:をみなへし さかりのいろを みるからに
          つゆのわきける みこそしらるれ
【略注】○女郎花=(をみなへし)おみなえし。この漢字表現を、何とか悠山人流に換えられ
    ないかと、辞書類にあたったが、長い歴史を背負っているので、難しい。古くは「をみ
    なめし」とも表記し、能演目にもあるが、さらに調べると、織り関連の語であることが
    分かってきた。そこで、もしかしたら「をみなめし=女召」、花をつけて「女召花」など
    どうだろうか、という考えに思い至った。碩学諸子に知恵をお借りしたいところだ。広
    辞苑さん、いかが?
    ○分きける=(草露を)仕分けて、差をつけて置いた。「露」は賜題者の道長を、女召
    花(おみなえし)は式部を、それぞれ暗示。全体として作者の容色の衰えへの懸念を
    も表現する。
    ○紫式部=悠024(07月26日条)既出。
【補説】道長返歌。
    1566 白露は分きても置かじ女郎花
        心からにや色の染むらん    藤原道長
    つまり、女召花(おみなえし)に露が少ないといって、露のせいにするのは、お門違い
    というもの。美しさは自身から出て来るものだよ、と軽くあしらったのである。この勝負
    の帰趨は?


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