高校生のころ大阪城は加藤清正の寄進した石をみて
どう運込んだのか興味があった程度で
コンクリート造の城をみてあまり感激はなかった
今回城壁の周囲から散歩がてら徐々に天主閣まで近ずいたら
秀吉及び徳川権力の偉大さと難攻不落の居城としての規模の大きさに
あらためて驚かされた
夏の陣で燃失し徳川によって復活、明治維新、太平洋戦争でまた焼失
コンクリート造も止むをえないのか
それにしても加藤清正の巨大石は二つ割りして背中合わせで使用したとのこと
厚さはそれほどないとボランティアの人が言っていたが
側面に行って横目に見ると30cmぐらいデコボコ波があった
天主閣から望んだ大阪城公園の一角に梅や桜が咲き始めていた
どう運込んだのか興味があった程度で
コンクリート造の城をみてあまり感激はなかった
今回城壁の周囲から散歩がてら徐々に天主閣まで近ずいたら
秀吉及び徳川権力の偉大さと難攻不落の居城としての規模の大きさに
あらためて驚かされた
夏の陣で燃失し徳川によって復活、明治維新、太平洋戦争でまた焼失
コンクリート造も止むをえないのか
それにしても加藤清正の巨大石は二つ割りして背中合わせで使用したとのこと
厚さはそれほどないとボランティアの人が言っていたが
側面に行って横目に見ると30cmぐらいデコボコ波があった
天主閣から望んだ大阪城公園の一角に梅や桜が咲き始めていた