今、ムカついていること、余禄
マスクの民衆と、「大丈夫」の言葉の頻発ですね(笑)。でも、もっと直接的に腹立たしいことが。
リンドウ、(今の僕にとってその行為が正解なのかどうかはともかく)やりかけたからには一応真面目に取り組んでいるのです。
中国語で書かれた「中国植物志」(500種分!)を、まずネットからパソコンの「ワード」に写し取って(非常に複雑な手順を経ねばならぬこの作業がどれだけ大変か分かってくれますか?)、それを翻訳せねばならない。
やっとほぼ写し終えたところで、英語版を見つけてしまった! 英語版が存在する科も無論あるわけですが、リンドウ科は中国語版しかないものと思い込んでいました。
ちゃんとあったのです。そんなわけで、今朝から再び英語版の転写を行っています。なんか、情けなくなってきた((;´д`))。
まあ、それは仕方がない。見過ごしてしまっていた僕が悪かったのです。
腹が立つのは、別の期待が裏切られてしまった、ということ。
中国語版は1988年の初版で、数年置きに新たな情報が組み入れられています。英語版は(そのままそっくりの直訳ですが)1995年の刊行(中国語版共に2019年電子化)。少しは真面な(新たな)情報が組み入れられているかも知れない、でも期待してても無理でしょう、、、と思っていたら、幾つかの項目で、新たな情報にチェンジされていた。
。。。。。それが、さらに出鱈目に拍車かけてしまっている、という、、、、(;´д`)トホホの二乗です。
*中国語版にあった原記載やシノニミックリストなども省略されている。Series分割も行われていない(それはそれでポジティブに捉えることも出来ますが)。
**個々の(詳細)情報処理は、僕なんかは太刀打ち出来ない「科学的に」立派なものだとは思うし、情報の量も圧倒的に豊富です。それは素直に感服しています(だから文句言いつつも利用している)。でも、うまく表現できないのですけれど、それ以前の「(“本質を知ろう”という)姿勢」のような部分が、見事に欠落している気がする。