青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

読者の方々へのお願い 2012年3月1日

2012-03-01 13:30:34 | 朝と夜、その他



河村発言自体はともかく、それを賛成支持する(反対派を弾圧する)一般市民の圧倒的な多さに、日本という国(国民)はもうとんでもないところに行きつつあるのだと、改めて恐ろしくなってきました。いわば国民総ヒットラー。日本は御終いですね。どうしようもなく醜い国に成り下がってしまったようです(世界一醜い国は中国だと思っていたのだけれど、それ以下)。

注:河村氏の指摘する「プロパガンダのため(“事実”が捏造され)利用されているだけ」というのは、(中国の常套手段から考えて)かなりの部分事実だと思う。しかし、そのことと、実際に虐殺が存在したか否かということは、別問題。残念ながら実際に虐殺はあった(平凡社新書「南京事件論争史~日本人は史実をどう認識してきたか」笠原十九司著を参照して下さい)。認めなくてはならない“非”は認めねばならない。本当の「愛国心」とは、そのようなものではないでしょうか?


(2月29日の記事もご覧ください)

気管支炎(?)は一向に良くならないのですが、ここ数日、全体として体調はだいぶ良いです。鼻の炎症も今回は激痛には至っていませんし、数日前から食事も比較的楽に出来るようになりつつあります。

●真当な薬を飲み続けているのが利いている?
●食事が出来ているのでその分の体力が回復?
●好天で暖かい日が続いているのが体に良い?
●菜の花畑を歩いているのが功を奏している?

のどれが影響しているのか分からないけれど、これで気管支炎が少しでもよくなれば、最悪の事態は免れそうです。

12月20日に来中後、今日で70日目となります。その間ずっと室内蟄居(移動日を除く)、野外に出たのは、計7日だけ。

■12月末に、梧州の知人A嬢(25才、旅行ガイド)のオートバイに乗っけて貰って、町外れの”麦菜”畑へ(自分では歩いていない)。
■2月初頭、サパ到着数日後に、オーストラリアの青年B君(22才)を伴って、滝壺の向こうの渓谷までトレッキング。
■その一週間ほどのち、ホテルを訪ねてきた千葉のC君(29才)と、滝壺まで散策。
■サパを離れる前日、一人で滝壺の向こうの渓谷へ。
■2月20日、神戸(実家がすぐ近く)の大学生D君を連れて羅平(昆明から3バスで時間半)の菜の花畑に。
■2月24日、羅平の手前(師宗、昆明から3時間)の、無名の菜の花畑を散策(師宗泊)。
■2月25日、終日菜の花畑の山腹を歩き回る(今回の滞在中最もハードな行動、一人も人に出会わなかった)。

5回押さないとシャッターが切れず、ピントを合わせるのが一苦労のカメラで、それなりに菜の花畑を写して来ました。

昆明から3泊4日で、再びベトナムへ。今回はサパには行かず、イミグレーションを渡ってすぐに引き返します。29日でノービザ期限が切れるので、それをクリアするためです。頑張れば、昆明から最速日帰りも可能(一部タクシーを使わざるを得なくなるかも)だったのですが、日にちの余裕があるため、無理をせずに途中の建水の町で行き返り一泊、中国側ボーダーの河口の町で一泊することにしました。いずれもインターネット可、宿泊費は河口が昆明のユースと同額の約1500円、建水が約1000円、往復の交通費が約3000円なので、3日間昆明のユースに停滞している場合との金額差は2000円ほどで済みます。これで(滞在しようと思えば)3月14日まで中国滞在が可能になります。

実は、昆明-センッエンの航空チケットが、ちょうど一万円で入手可能だったので(夜行列車はまだ乗るのが辛いし金額も6000円余で飛行機と左程変わらない)、先に香港に出ておこうとも考えたのですが、、、。後のことや、その他様々なことの兼ね合いから、安全策を取ることにしたのです。

冒頭に記したように、体調はこの2か月間で最も良くなっています。気管支炎(?)の方は相変わらずですが、心なしか楽になっているように思います。お腹(胃)の調子も良くはないのだけれど、食道の逆流がかなり収まりつつあります。鼻の炎症(?)もここのところ継続して痛みが続いているのですが、(以前のような生涯随一の)激痛という状態ではありません。、、、、まあ、薬が効いているだけなのかも知れませんが。薬は今日で切れてしまうので、明後日昆明帰着後、もう一度医院で貰ってきます。

と言う訳で、このまま回復に向かえば(せめて今の状態が続いてくれれば)そろそろ次の行動に移ろうと思います。

その前に、この2か月間の、センッエン~サパ~昆明に於ける、状況報告を行っておきます。

同じ寝たきり状態でも、センッエン~サパ滞在時に比べれば、昆明に来てから、こころもち良くなった気がしているわけで、思いつく理由は、冒頭に記した通りですが、中でも天候がかなり大きく作用しているのではないかと。

センツエン・香港 位置=南    標高0m  沿海部    天候不安定        かなり寒い
河口・ラオカイ  位置=南   標高60m 深い谷間   天候不安定        かなり寒い
サパ       位置=南  標高1600m  険しい山腹  快晴か一寸先も見えぬ濃霧 すごく寒い
昆明       位置=北  標高1800m  平らな台地  連日快晴         とても暖かい

ということで、気候が要因の一つとなっているのかも知れません(昨日から河口にいるためか、胃の調子がかなり悪い)。

センッエンとサパでは、ひたすらミャンマーの蝶の標本写真整理(今後のNさんとの仕事に繋がります)を行い、約半分(アゲハ・シロ・タテハ、、、残りはシジミとセセリ)の整理が完了しました。とにかく膨大な量なので、大変な時間がかかり、今回のような動けない(体調が悪くてお金がない)でいる時でないと集中して取り組めません。このような機会でなくては決行出来なかったでしょうから、ある意味、幸いだったのかも知れません。

実は、最初の目論見では、標本写真の整理を全て完了させ、Nさんが引っ越しするという、2月25日頃に合わせて、25日上海発、27日阪神着の船便で、帰国を考えていたのです。ただし、片道の船賃が2万5000円、上海までの交通費が1万円前後なので、(この2か月近くの後払い宿泊費を全て支払ってしまえば)年金にAさんから都合して頂いた分を加えても足りません。

のみならず、Nさんからは、以下のような伝言。

●ミャンマーの政治が混沌としているため、計画が思うように進まず、連絡待ち(今回は給与は貰えないかも)。
●僕の要望(引き続き博物館の作業に従事したいなど)は、すでにN氏から先方に伝えてある。
●大阪~丹波篠山の自宅引っ越しの手伝いは、人が足りているので大丈夫、標本ほか大変な量なので、整理を完全に終えるまで部屋に寝泊まり出来ない(Nさん自身も篠山市内のホテルに泊まって新しい自宅に整頓に通っているという状態)。
●町のホテルは、値段が高く、その割には設備が悪いので、勧められない。
●引っ越しのあれやこれやで、落ち着いて打ち合わせをする余裕がない。
●丹波篠山は非常に寒く、風邪をさらに拗らせてしまう恐れがある。
●今無理して帰ってこずに、新宅の整理が一段落着き、打ち合わせの時間も充分に取れ、暖かくなり始める3月下旬頃に訪ねてきた方がよいと思う。

早めに打ち合わせを行い(引っ越し後の作業の手伝いもして)幾ばくかの前払い賃金を得ようかと目論んでいたのですが、、、今後のことを考えれば、焦らずにNさんの意向に従っておくのが良いように思っています。

それにしても、ミャンマー標本写真の整理は、寝たきり状態での作業とはいえ、大変な量、大変な労力です。日本滞在中の、10~12月に(食事睡眠時間も削って)集中して行っていたプレゼン作成もそうですが、僕ほど一生懸命に仕事をしている人間は、日本中を見渡してもほとんどいないのではないかと自画自賛しています。むろん自分のやりたいことをやっているわけでは無く、とにかくお金に結び付くことを考えて頑張っているわけで、人に後ろ指を指されることはないと信じているのですが、、、結果として収入に結びついていないということは、やはり致命的ではあります。

そんなこともあって、当初予定していた上海発25日の船便での帰国はパスし、今後の動向について改めて考えることにしました。体調が、センッエン~サパ滞在中のレベルに逆戻りして動けなくなってしまう前に(せめて今の小康状態が続いているうちに)、次の行動に移らねばなりません。

■A:このまま(4月中旬頃までは)中国南部(あるいは東南アジア)に滞在し、風邪(気管支炎?)とお腹(逆流性食道炎ほか)を完全に治す。並行して、現地からインターンエットで原稿を日本のメディアに送る。これが最も難しいと思うのです。日本にいても、何らかのコネクションがないことには各メデイアとの接触が難しいわけで、まして海外から、ネット利用のみで接触するのは不可能に近い。M氏にお願いしたのですが、立場上仲介は難しいとのこと。あや子さんは、、、、無理なんでしょうね。でもって、読者のみなさんに、(メディアとの)橋渡しをお願いするしかないわけです。ちなみに、タイやフィリッピンやインドネシア(どこか一か所に滞在を続ければ、極安の経費で済む)なら、K氏(標本の値段表を送ってきた)用の蝶の採集も可能です。

■B:即刻(3月中旬以前に)帰国。航空便で香港~東京、あるいは船便で上海~阪神(Nさん宅へ)。S不動産に対しては、3月中旬をめどに、1~2月分の7万円を支払います、と伝えてあります。最近は誠意をもって対応してくれているので、こちらがある程度きちんとした計画を遂行すれば、いくらかは待って貰うことも可能だと思います。帰国後は、改めて生活保護の申し込み(場合によっては青梅市から柏市への引っ越し?)も検討。或いは日雇いのアルバイトを探すことも考えています。そのうえで、(インターネット頼りではなく)昨年末にスタートする予定だった、自分の足でのメディア回りを再開せねばなりません。

両パターンに於ける必要経費は、
A 現地予算、月5万(移動1回)~8万円(移動複数回)、家賃7万円。計12~15万円。
B 帰国のための交通費4万円。家賃7万円。仕事または生活保護が決まるまでの資金4万円として。計15万。

とにかく、雑誌関係の仕事を受注するしかないでしょう。むろん頁数やメディアごとの差はあるのですが、おおよそのところ10万円前後の原稿料が貰えるので、1~2の仕事を取りさえすれば、資金の確保は叶うのです。

今のところ考えているテーマは、

◎「菜の花」絡み、、、時期的に遅いかも知れませんが、、、。
◎「中国彩麗」として、ウオーターテラス・菜花畑・棚田・白い村、のセットで組む。
◎数年前から取り組んでいる「恐竜&古代人の壁画」は、さらなる取材が必要だと思われます。
◎「屋久島はどこにある?」は、今回ヘツカリンドウの取材で出来なかったため、不利ではありますが、それ抜きで何とか組んでみる。
◎「東洋のレタス“麦菜”」は、一応NHK出版を予定しているのだけれど、送り先が分からない。
◎「野生アジサイ」関係は、時期的には今から準備してちょうどよさそう。ただし業界内部の様々な“政治的”な柵をクリアせねばならず(そのことについては説明が必要なのですが長くなるので割愛)、気が重いです。
◎意外に上手く行くかも知れないのが、「蝶」関係。「給水中の蝶に指を差し出せば、簡単に乗り移ってくる」というテーマです。まわりの知人に写真を見せたら、けっこう反響があって(簡単に乗り移ってくるとは誰も信じてくれないのです)メインテーマとなり得るのではないかと。コンタクトが取れさえすれば、上手く行きそうな気がします。数年前、少し前の時期(2月中旬)にラオスに行ったときには、多数の吸水中の蝶たちに出会いました。帰国前に寄ってみて「指に乗り移る蝶」の写真を増やしておく(でも、5回続けて押さねばシャッターが下りず、ピント合わせも難しい僕のカメラで撮影可能でしょうか?)のも手かも知れません。

これまで読者の方々に。「ネイチャークラブ」入会、あるいはカンパの要請をしてきたのですが、結局誰一人として反響は有りませんでした。でも、“入会”やカンパはしてくれなくても、(金銭の絡まない)メディアへの仲介の労は、誰かしら取って頂けるのではないかと、期待しているのです。ブログの更新が長く滞っている時でも、常に100人以上の訪問者がいるので、一人ぐらい協力者が現れても良さそうに思うのですけれど。

もう時間がない(あと数日で予算が尽きます)ことですし、読者の方々に向けて、プレゼンを紹介し、確実に訴えかけねばなりません。と言う訳で、「あや子版・最終章」の前に、しばらくの間、プレゼン内容の紹介を行って行こうと考えています。当初は、一気にアップしてしまおう、と考えていたのだけれど、あや子さんの意見では、短期間でのアップは、とても無理だとのこと。このあと、毎回1つのテーマに絞って、数10回に分けてプレゼン内容をアップしていく予定です。それについての、あや子さんの意見も聞かせてもらいたいところなのですが、、、、。、

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今回のここまで(昨年12月20日~今日2月29日)の報告を、写真を添えて行っておきます。「生きて帰国出来る確率は5分5分」とか、悲惨な状況を訴え続けている文章と、なんだか楽しそうに見える以下の写真とは、ギャップがあり過ぎのようにも捉えられかねません。どちらが本当の状況か、というと、もちろん前者なわけで、楽しそうに見えることと、本当に楽しいのかどうかということは、全く別物である、という事実を、どうかご理解頂きたいのです(ちなみに、これらの写真が、ごく僅かな外出中に於ける、ほぼすべての光景であります)。僕が、幾ら悲惨な状況を文章で表現・強調しても、第3者は楽しそうにしか捉えてくれない(Johnny Tillotsonの失恋の歌の数々が、やたらと明るく唄われているのと同じなのかな?)。


左写真:2011.12.25広西壮族自治区梧州市。旧知の旅行ガイド、サンジー嬢(25才)と。バイクで梧州の町はずれの麦菜畑に案内して貰った(前日のクリスマスイブの晩は、お姉さんご夫妻に盛大なご馳走になりました)。右写真:2012.2.4ベトナム・サパ。オーストラリアの青年ハーミッシュ(22才)と。カットカットの滝にて。このあと渓流の渡渉地点まで連れて行ったら、なんとパンツ一枚で川に飛び込んで泳ぎだした!


左写真:2012年1月23日、センッエンのY.H.にて。右から、イギリス(ロンドン)のニコラ、アメリカ(ニューヨーク)の00000、エジプト(アレキサンドリア)のアリ、イギリス(ウェールズ)のケルビン、体調の悪かったセンッエンのY.H.では、彼らに随分励まされたのです。一人一人のキャラクター(個性にあふれています)の紹介はまたの機会に。右写真:2012年2月2日、ベトナム・サパにて。クイーンズホテルとスカイビューレストランの元オーナー「テ氏」の奥さん(左は息子さん、中央はお友達)。お友達に「美人ですね」とお世辞を言ったら、「資生堂のクリームを塗っているからですよ、今度日本に帰ったら買ってきてください」だって(藪蛇とはこのこと!)。ベトナムでは超高級品なのだそうです。


左写真:2012年2月3日、ベトナム・サパにて。クイーンズホテルの現オーナー夫妻と従業員たち。僕やI君も一緒に食事です。右写真:2012年2月10日、ベトナム・サパにて。今回最も長く一緒にいた千葉(柏)のI君。「男38才旅に出る」というブログをやっているので見てやってください。会社をきっぱりと退職して、このあと3年間の貧乏世界旅行です。


写真左:2012年2月10日ベトナム・サパにて。柏のS君と松戸のI君。柏と松戸(ともに千葉県)は隣町ですが、たまたまサパで一緒になりました。写真右:2012.2.20雲南省羅平にて。僕の出身地・神戸市垂水区のすぐ隣の神戸市須磨区在住・サトー君。20才の現役大学生です。須磨から三田まで、自転車で通っているのだとのこと。ヒッピーに憧れて(!)旅に出てきました。


 
2012年2月19日、雲南省昆明にて。仲良しのモニカ嬢と。広東省の農村出身の24才。昆明の大学を卒業し、その後も昆明で働いています(一週間休みなしで、フルに働いているのだとのこと)。すごく頭が良く(英語はネイティブ並み)、謙虚で、素朴で、しっかりしていて、中国人らしからぬ雰囲気の若者です。昆明滞在中は、2日に一度ほどY.H.を訪ねてきて、この日も豪華料理を(貯金を下ろして?)ご馳走してくれました。この魚、よく見て下さい。みなさん、こんな料理法があるのをご存じでしょうか? 魚の体を裏返しにして、味の部分を外側に出しているのです。とても食べやすく(骨を抜き取っていて小骨もほとんどない)抜群に美味しい!この日あたりを境に、僕のお腹の調子(逆流性食道炎)も幾らか良くなってきました。

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