場末の雑文置き場

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美白という言葉

2020年06月27日 | 政治・社会

少し前、ジョンソン・エンド・ジョンソンの美白化粧品が販売停止になったニュースがあった。
ポリコレ大嫌いな日本人たちはこの決定が気に入らないようでギャアギャア文句を付けていたが、私はいい変化だと思った。美白という言葉は昔からずっと嫌いだったから。やっと問題視されるようになったか、という感じ。

私は東アジア人としては色黒な方だ。でもそれにコンプレックスを感じたことは多分一度もなくて、自分の肌の色は結構気に入っていた。だから女性は肌が白い方がいい、みたいな風潮がものすごく嫌だった。

このニュースへのイチャモンの中には、日本で色白が好まれるのは白人への憧れからじゃなくて昔からだ、ってのもあった。それはもちろんそうだろう。で、だから何? たとえ白人という人種がこの世に存在していなかったとしても、色白=美で色黒(特に女性の)は好ましくない、みたいな空気は滅ぶべきだと私は思う。
そして白人のことは置いておいても「美白」という言葉は肌の色の濃い人種に対して否定的なイメージを植え付ける効果がある。日本にだっていろいろな人種の人が住んでいて、アフリカ系の人たちだっているのに。

そして少し調べたら、今回の決定は日本はあまり関係なくて主にインドや中東当たりの色白信仰を問題にしてものだったようだ。シミを消す程度じゃなくて肌の色を漂白するとうたっているような商品を売っていて、それによる健康被害も出ていると。

その話を聞いて思い出したのが、インド人と結婚した女性がインドの生活や文化について語った本のこと。そこでインドの色白信仰についても触れられていたのだが、インド女性の美白にかける情熱はものすごくて、どうしてそこまでしなければならないのか、と悲しくなってくるレベルのもののようだった。
それより驚いたのは著者がそれに対して全く疑問を持たず、肌の白い人のほうが美人だという価値観を全肯定していたこと。ここに強烈な違和感があったので、大分前に読んだ本だけど今でも記憶に残っている。

日本の色白信仰はインドほどに強烈なものではないだろう。それでも日本にも確かに存在しているし、美白という言葉は使うべきでないと思う。

ともかくジョンソン・エンド・ジョンソンの今回の決定は支持する。ただそれとは別に、私はこの企業は絶対支持しないし製品は買わない。なぜならイスラエル支援企業だから。


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