あの映像を何回見ただろう、放送のたびにひっくり返った姿を、いわば録画テープとして流していた。密着取材とかで、繰り返し、番組の中で映し出すものだから、痛々しかった。失敗した、ひっくり返って、けがをした、それも練習時のもの、これでオリンピック出場は決めていたが危ぶまれていたのだから、そんなに繰り返さなくてもよいものを、なぜまた、流し続けるのかを不可解に思った。テープではないから、劣化することのない、デジタルの記録映像として、そう繰り返されては脳にあざやかに刷り込まれてしまうような、メディアのやることである、その記録を持ったものが尺を使う、ファンならば悲鳴を上げている場面である、あった、ということになった。>羽生復活111・68点 フィギュアSP、宇野104・17点
2018/2/16 夕刊
男子SPで演技する宇野昌磨(左)、羽生結弦=いずれも16日、江陵で(潟沼義樹撮影)
【平昌(ピョンチャン)=本社五輪取材団】平昌五輪は八日目の十六日、フィギュアスケート男子ショートプログラム(SP)で右足首故障からの復帰戦となる羽生結弦(ゆづる)(ANA)が4回転を含む全てのジャンプを成功させ、世界歴代最高の自己ベストに迫る111・68点を記録。 . . . 本文を読む
身体がきつい。片付けの労働をして力仕事があったから、それから4、5日が経つ。それを意識するかしないか、多分、もう、そうは感じなくなる。その疲れ方が日常化すれば老人の身体状況である。老いるとは…自己回復力がなくなるかのように、いつもこうなるのだろう。体操をしてふしぶしを伸ばして、その繰り返しで、維持できるものだけになる。この時間を経てからの意識には、かつてはその日のうちに、10代から20代にかけては鍛錬になる、そして30代になると次の日の疲労をはじめて体力としてしる、40代ともなるとそれが次の、その次の日に疲れを感じて、それがあたりまえになってくるので、意識することがかえって、なくなる。旅行に出かけて戻ってくつろぐことがあれば、それがわかるようになる。ここらで体力の衰えに気づくと、50代になると3、4日の後に、おやっと思うほどに、疲れをわかるようになって、むしろ体力回復を図ろうとするのがわかるものである。こうしてだんだんと筋肉の疲れは日を過ぎたころにあらわれてきて、足腰のあちこちにそれを感じるのが60代である。そのころから疲れているときには休むに限ると思うようになって、力仕事の連続を避けるようになって、体力の温存を心掛ける。この身体の動きは、実は、脳の働きに連動している。 . . . 本文を読む