現代日本語百科   けふも  お元気ですか

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良い便り

2018-02-28 | ほんとうのところは
国際交流基金に応募していた結果が、知らされた。わたしには、それぞれの種別があるものの、推薦をして4人目となった。人を送り出すのは難しいことだが、それぞれに立派にやってくれるので、アメリカの高校生に良きアシスタントとして日本語教育を実践するだろう! . . . 本文を読む

文章法単位体

2018-02-28 | 日本語文章
文法単位体を唱えたのは、それには形態レベルであるモーフという、形態素を文法にしてとらえると、形態となる、その単位を作ったのは恩師である。形態から統語へとその単位体のレベルは関係構成を作り上げる。どのレベルが核となるか、その上位単位は文章、下位単位には語という、文法である。統語をシンタクスとして、そのレベルには文から文章となる意味の議論があって、文の統語における意味のとらえ方には、日本語文法ではおのずと、より上位の単位に展開する、それにはモダリティーの議論を見ればわかることである。叙法がムードとなると、日本語文法の単位体のように開かれた単位となれば、それは文におさまらないモダリティ論議である。話し手の意図をみれば、それは文章単位となることも必至である。日本語教育文法の助動詞の説明に話法が図解されていたが、その枠組みはコトの類型となったように、助辞の働きに見る、あるいは統一叙述の視点で、それを文の単位にだけ見ることは、文章の視点がなければできないことである。文法単位体に、文章法単位体を考えるゆえんである。 . . . 本文を読む

日本語教育史 前史日本語

2018-02-28 | 日本語教育史
外国語習得、言語学習にはきっかけがある。その地域で、その言語として身につけて育てば、母語あるいは国語である方言として、ことばがある。そこに母語でない、国語でない、他国の言語を学習するとなれば、どのようなきっかえがあるか。蛮族、蛮人という、夷狄とも称した、その言いは、言語を解しない人というとらえ方であったから、自他の言語の違いを地域によってまずは意識したことになる。そのように自分たちにわからない言語を学ぼうとしたかどうか、それはおそらく、逆で、ことばを押し付けようとすることから、文化衝突回避することがあったろう。しかしそこに、言語を異にして、さらに権力、腕力、暴力の差があると、それにともなって言語は学習の対象となることがある。言語学習は生じた地域に置けり民族と多民族の軋轢のためである。日本語教育、日本語学習、日本語教材と自覚的に行われる学修は、その目的によるところであるが、自覚されないまでも、言語意識の違いに、他国、他地域の言語を目標言語として、言語接触と文化摩擦を問題として解決を図ろうとする人々ん動機があった。それをとらえて、日本語教育史の前史に、留学僧、漂流民、そして通商の言語として見ることができる。 . . . 本文を読む

筋力

2018-02-28 | 木瓜日記
筋肉の衰えは特有のだるさを持つ。これは鍛えていてもそうでなくてもなるだろうかと、自覚したのはぐっすり眠って筋力の回復をしたかどうか、つまり休養となったかどうか、それがわかる。使わないところがどんどんとだめになる。まだ寝起きをしていて動けなくなる実感はないが、それでも重いものを動かしたり、手提げに重量感があるときには、寝て眠っている間に、だるさが出てくるので、この疲労感は筋肉の回復力特有のものだろう。バランスが取れていないことでもある。7年前に関節炎を起こした、そのときのこわばりは、神経の命令系統がとぎれるような、独特の動き、それは動かせないということなのだけれど、多発性のものであって、一挙一動のすべてにブレーキがかかってしまったので、あのままになってしまったら、使わない筋力として衰え方がことなるけれども、動けなくなってしまったろうから、このいまの自覚する状況は先行きどうなるかを類推している。 . . . 本文を読む

負けて、勝ちあがる、勝ちがある

2018-02-28 | 思い遥かに
勝って負けるか、負けて勝つか、撞着を起こしそうな物言いである。勝って、勝てば勝つのは当然だけれど、負けて勝つというのはどうなんだろう。かなりその前提となる条件、また結果としての状況があるだろう。冬季五輪の競技でそれを思わせられたのは、カーリング女子の闘いだろう。ショットのどれを取ってみても、勝つか、負けるか、微妙な駆け引きになっていた。そこに強いショットがダブルテイクをとるようなゲームは、そもそも、ショットのうまさであって、さらにはパワーがあるのである。男子のカーリングにはそのはじけ方で分かる力のあるストーンの動きに、ただやみくもにしているだけではないから、勝敗は見る間にわかるようなショットになる。そこで女子の動きを見ていると、これは最初はゲームルールそのものがあって、それを知っていくのにはちょうど良い戦い用で、男子ゲームを見ていたらあれよあれよと決まってしますので、その表情のゲームの醍醐味が全く異なる、ゲームとしてのルールも単純に見えてしまうところ、好意っては何だけレ度、女子チームが負けては勝っていく銅メダルになったのは、よくカーリングとは何かを知らしめるものとなった。 . . . 本文を読む