軍事パレードのニュースに映像がない、生中継はないというので、早々に伝えた韓国情報にまずは推測をしていた。国内行事として位置付けたとか、五輪チームに影響する派手な演出を控えた、とかとか。ところが画像と個人撮影のそれまでの限られた情報とは打って変わって、軍事パレードの、予想されてはいたガ、録画を放送に流した。変わりない広場の行進であり、軍事力を誇示するものであったから、憶測はともかく、大陸間弾道弾、金星15号を4基並べてみせるなど表現にはにならない、ありふれた見慣れた光景になっていると思った。思い起こせばB繰り返し見せつけられてきた、メディアが報じたパレードは、旧ソ連、中国、ロシアそして北朝鮮とあったのだが、軍事パレードは国威発揚で軍人の士気を高めるためのものだったろう、いまや情報戦略の一つに兵器保有の誇示また戦略となっている。これはプロパガンダである。 . . . 本文を読む
文章は文の複合したもの、文は句の複合したもの、句は語の複合したもの、という、文章また文のレベルで、句が語の複合体であるというレベルの言語現象が分析されなければならない。章句を明らかにすることである。句の複合したものを文のレベルにとどめるか、文章のレベルに論議するか、文章分析にはこの章句とするものを考える。中国古典に章句の学があるとウイキペディアが項目を作っている。文章の大きなまとまり、小さなまとまりとするものに相当して、経典解釈の形式に、句、章で区切ったものを単位とする。日本語文章では段落の単位を章節に作ろうとするが、段落による文章分析または文法分析が行われることは、文章解釈によるほかは、少ない。それには文の単位による作業が主としてあり、その考え方が文章と文を明らかにしてきたのである。文章論議で、その単位に章句を扱うことが、日本文法にも必要であり、その分析を行うとよい。 . . . 本文を読む
脳の活性化を図ろうとして、果たして、どういうふうに脳を使っているのか。機能停止には大脳の生理を分析することで、だめになってしまうというようなことは、わかりよい。それを脳の働きを使う側からすると、まずは記憶にある。覚えるか、思い出すか、これは違う作用のように見える。記憶をあわせた思考には、脳のままに、というのは、記録や画像、映像を見ることなく、それを行うということが、思考はどう行われているかと、組み合わせた脳にある情報で判断する、推理する、論理を組み立てるなどと、そこにはイマジネーションとひらめきが加わる。そして脳の働きの重要なものは、感覚をとらえる、認識、認知の能力である。記憶、判断、認識、知覚と思考である。そしてさらには、運動機能である命令する作用がある。これには身体の反応が重視されるが、それには意志の命令がある。脳が働くには、その機能で何をするにしても、心理に及ぶ命令として見た、脳による切り替える働きで、身体、心理、感情に及ぶことがある。 . . . 本文を読む