羽生が勝ち、羽生が敗れた。きょうのビッグニュース、羽生が2連覇の金メダル、羽生二冠が15歳棋士に敗れた。はにゅうが負けても、はぶが勝ってもニュースとなるだろうけれど、そうならなかったから、ともにニュース速報に号外が出た。ご当地のニュースとなれば、2位の銀メダルの宇野昌磨選手、藤井6段に昇進と、いずれも亦、ニューストピックである。地元の誇り、名誉ある快挙と豊田市瀬戸市の市民はわがことである。 . . . 本文を読む
句は歌句にある。それは和歌、俳句となって、いずれも近代短詩型文学に見える。言語の資料を文学作品にとり、時期的な変遷を経て、長歌、短歌になる反歌、そして連歌俳諧と句を見てきた。その文芸の流れを受ければ、喚体句と分析される。近代文法が国学の論を受けたものであり、日本語を文章とする議論の展開を起こすことになる。その一方でまた、漢詩作法から句の単位を見ようとした、断句の論があり、句とその部分である連詞の単位を析出している。句には喚体述体、断句と詞、原辞の論を見て、新たに言語の視点に仮説を立てた入子型の句が議論として出されている。句は辞が包摂する言語単位となって、有限の包摂に作品が現れて、それを文章とした論である。文章論を冠する唯一のものと言ってよいが、その文章統一つまり作品の成立にある統合理論には、統覚作用と陳述論を対峙した。句の論は文章論に結びついて作品解釈の文芸理論と往きあう。喚体、断句、詞の辞による包摂、そしていわば、和歌漢文の文法が、西欧文法単位の文によって、新たな句構造を分析することになる。なお、その論には国文法の連体修飾句連用修飾句を排斥するものがあり、句の基本は慣用句の意味と用法にその成果を求めることになる。 . . . 本文を読む
政治は動いている。こう言うと、永田町の駆け引き、とか、外交の密約、とか、経済の動向そのものをさして、くすぶるかのようなニュース騒ぎとなるか、そこにショックが現れての事件である。そういった動きに加えてもいまの政治は民族と自立に揺れる軍備競争である。日本国民が日本民族であるか、自衛隊が国を守れるか、そのことに気づかぬ風をして、気づかない様子に、ほかの地域の民族、軍隊がどう動いているかをを関心事に持てないから、明らかな政治の動きがあっても正しく判断材料を持ちえない。日本はながく、目くらましの状況があったのであるから、そのままに議論をしていくことは、繰り返す歴史の轍を踏むことになる。いきなり目を驚かす轟音が響けば、それは太平の世を覚ます、国家安泰を信じ切っている人々の、そうした人たちに、政治を動かすことで、国の安泰を切り替えていかなけらばならないことがわかるかどうかである。国民の3分の一と、そのまた余の半数とが、どう勢力を得るか、2017年の歴史転換を出来事に2018年が具体化をしていくことである。 . . . 本文を読む