年齢相応なのだろう、民族の行く末を、その岐路に思い悩む。民族のことをわかるのはどういうときか、わかるとは、それをとらえて、民族主義者になることか、どうかは、わからない。年齢であれば、民族に目覚めるきっかけがあれば、10代でも、20代でも、そういうことがあろうかと思うし、世に役立てんとする命を実感するときに民族があるかどうかである。家族があって、家系による民族への思いは、血縁社会が基本であるから、家族制国家としての思いがあれば、民族国家へのつながりを見ることにもなる。しかし、その民族が見えない、見えなかったのは、日本民族があって大和族ではないというような、その教育による刷り込みである。そういえば、教育においても、その日本民族も教えにあったわけではないから、世代として特有の民族意識を持たなかったと思うことになる。 . . . 本文を読む
新聞の紙面、スポーツ欄を、きょうは、すみからすみまで、どれまでか、読んだ。中日新聞の1面はオリンピック金メダル銅メダルで、トップ記事が埋まって話題はそれだけのような紙面である。時代ふうに言えば、書くべきニュースがこれだけの平和なご時世である、というような、憎まれ口はさておき、オリンピックに歴史を作った、日本選手による、オリンピックで初代マススケート、スピードチャンピオンの誕生というのと、17日間の13個のメダルに花を添えたのが、カーリングの競技である。スキー、スケートに加えて氷上のチェスにに似た勝負に、アジアから競合をする、チームが出たのである。金メダル争いに結果は日本のは銅メダルであったが、その戦法と決勝4チームに勝ち残ったなかで、それこそスリリングなするりとスチールをして点を得る、競技の醍醐味そのものであったのである。 . . . 本文を読む