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(写真は水戸八幡の火伏の神)
明治5年水戸城本丸等の大半が焼失しました。他藩(福井藩)出身の参事・渡辺徹が就任し、それに服することへの反発から水戸の士族が放火した結果だったそうです。短期間の在任ではあったものの県令の説得や告諭書などにより、その後は徐々に良い方向へ進んでいったそうです。三層櫓は焼け残ったそうです。
三の丸3-10-1(水戸第一高等学校 本丸跡) 029-224-2254
明治17年に下市の大火という火事があり、七軒町から出火し、本町、竹隈町からさらに焼け広がったそうです。これにより下市は整備がなされ、近代的な商業都市になっていったそうです。明治19年には上市でも大火があったそうです。
本町(ハミングロード513 本町商店街)
明治39年汽車の煙突からの飛び火が原因で、今より広かった神崎寺(かみさきじ)の、線路方向にあった観音堂から出火して、泉町、藤坂町(現五軒町)に及ぶという大火があったそうです。大正7年にも同様の、汽車が原因の大火があったそうです。この頃は、鉄道による火事がよくいわれたようですが、本当のところはどうだったのでしょう。
天王町8-17(神崎寺 かみさきじ) 029-221-2748
昭和20年、8月15日を目前にして8月2日の空襲により市内中心部の大半が焼けてしまったそうです。この時に水戸城三層櫓も焼けてしまったそうです。これがなかったら、城下町水戸はもっと歴史的なものを残していたのでしょうが、残念です。
三の丸1-4-19(水戸市平和記念館) 029-291-3846
水戸八幡の鎮火之神二神宮(火伏の神)
江戸・神田明神祭りと富岡八幡の祭りで引かれた伊邪那岐尊・伊邪那美尊(いざなぎのみこと・いざなみのみこと)を作り付けた同じ山車が、ともに大火を招き、それが水戸にゆずられたそうです。水戸八幡のお祭りに引きだしたところまたもや大火が発生し、神さまを乗せて引き廻すからと、水戸八幡にお祀りするようになったそうです。その後大火はなくなり、火伏の神として信仰されたそうです。戦災でも無事だったそうです。
八幡町8-54(水戸八幡) 029-226-8854
私自身歴史についてはド素人ですが、気づいた時にはコメントさせていただきます。
これからも遊びに参ります。
6年前の記事に対してのコメントで恐縮なのですが、、、
> 明治5年水戸城本丸等の大半が焼失しました。他藩(備前・大村藩)出身の県令・渡辺清が就任し、それに服することへの反発から水戸の士族が放火した結果だったそうです。
明治5年に茨城県「参事」だったのは「渡辺清」ではなく、「渡辺徹」ではないでしょうか?
なお渡辺清は「肥前」大村藩士、渡辺徹は「越前」福井藩士と思われます。ご確認いただけますでしょうか?