(写真は東征神社)
神力宇賀大妙神
末広町2-1-40
加藤清正の家来が大洗に勧請したものを、末広町の有志が遷座したといわれているそうです。二の鳥居は常陸山と梅ヶ谷の19代、20代両横綱により建てられたそうです。3.11の地震のため、境内には入れませんが、外から横綱の名は見ることができます。
水雷稲荷
水戸市泉町2-4
大正5年、水雷神社と稲荷神社として個人が祀っていたものを現在地にうつしたものだそうです。明治13年に神社明細帳に編入との記述があります。水雷という言葉は、明治36年に国木田独歩が使用したのがかなりはやいころで、水雷戦隊が日本にできたのが大正3年だそうですから、明治初期の社名は何だったのでしょう。天神社とか別雷神社とでもいっていたのでは。もしかすると、水と雷に霊験ある神社ということかもしれません。
甘酒地蔵
金町1
水戸地方気象台裏手の崖下あたりにあります。各地の甘酒地蔵には、甘酒を供えるという事例が多いようですので、そうしたことからの命名なのではないでしょうか。
東征神社
水戸市青柳町2389
日本武尊が東征の際、このあたりに上陸して神に戦勝を祈願し、船をうめたが、時代くだって水戸光圀が掘らせたところ、その船があったので、社殿を建てさせたといわれているそうです。
銭谷稲生(ぜにやいなり)神社
水戸市浜田町150
寛永2年(1625)この地で「新銭」が鋳造され、その後、寛永通宝の鋳銭場になったことから、銭谷稲生といわれたそうです。
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