ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の野球場(2)

2021-11-15 20:32:18 | 水戸

中妻市民運動場(牛伏町114-2)
   フットサル場もあるようです。約1.5haあって、昭和58年にできた施設のようです。

 

河和田3丁目第2児童公園(河和田3-2600)
 河和田団地の中にある児童公園ですが、野球場もあります。面積は0.90haだそうです。この公園は、赤塚遺跡でもあるようです。

 

水城高等学校野球場(小吹町2057-6)
 グランド近くに寮があり、8km離れた学校へは自転車で通い、足腰を鍛えているそうです。ケーズデンキスタジアム水戸(写真中央奥)の近くです。

 

若宮市民運動場(若宮町1103 )
 那珂川の河川敷にある、約2.45haある広い運動場です。国道6号線の水戸大橋(写真中央奥)近くで、橋から俯瞰して見物ができます。昭和63年に建設されたそうです。橋の向こう側にも城東市民運動場という野球場があります。

 

大塚池市民運動場(大塚町1827-1)
 大塚池のすぐ近くにあり、面積は約1.5ha、昭和58年の建設だそうです。市営の野球場の多くは、予約が必要なようですが、無料が多いようです。ここは有料だそうです。

水戸の野球場(1)

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水戸の中学校校歌(2)

2021-11-14 18:27:45 | 水戸

 歌詞は、一番の初め部分です。

 

第五中学校(堀町1166-1)
 栗原一登作詞・石丸寛作曲
 わが故郷(ふるさと)は緑なり
 那珂おおらかみ巡(めぐ)り行く
 栗原は5000人の第九を指揮したりしているそうです。石丸は、指揮者で作曲家だそうです。

 

第四中学校(元吉田町1987)
 與田凖一作詞・細谷一郎作曲
 白梅の花と薫(かお)りて
 清純のこころざし湧く
 與田は詩人で、児童文学者だそうです。

 

飯富中学校(飯富町4479-1)
 下野米(たから)作詞・作曲
 緑の山 清き流れ
 懐かしきわが故郷(ふるさと)
 下野は茨城大学教授だった人だそうで、飯富小学校の校歌も作詞・作曲しています。

 

茨城大学付属中学校(文京1-3-32)
 勝承夫(よしお)作詞・中田喜直作曲
 香りゆかしく 咲く白梅は
 春のさきがけ 若き力よ
 勝は詩人で、日本音楽著作権協会会長をつとめたそうです。中田は「小さい秋みつけた」などの作曲者だそうです。

水戸の中学校校歌(1)

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水戸の寺社への奉納物(2)

2021-11-13 20:07:58 | 水戸

釣灯籠(水戸市立博物館頼房展 大町3-3-20)
 有名な徳川頼房奉納の銅像灯籠が東照宮境内にありますが、それとは別に、銅像釣灯籠も奉納されているようです。元和7年(1621)に、重臣の芦沢信重等の釣灯籠と共に奉納されたようです。灯籠内部にはすすの跡があるので、実際に使用されたらしいとのことです。頼房展は21日まで開催されているそうです。

 

鳥居(東照宮 宮町2-5-13)
 最近改装された鳥居です。柱下部にある金色の金属覆い・藁座に、多くの寄附者の名前が刻まれています。明日は、水戸東照宮創建400年記念として水戸御祭禮行列が行われるようです。(写真左)

 

 

酒樽(常磐神社 常磐町1-3-1)
 神様はお酒が好きなようで、神社には奉納された酒樽がよく積まれています。以前は、神社の祭りでは、その度に酒を造っていたようですが、明治時代以降、酒税法などのため、ほとんどの神社は、酒造りをやめたようです。境内に積まれる酒樽はもちろん飾り樽ですが、拝殿内では奉納された本物の一升瓶がよく見られます。

 

石碑(祇園寺 八幡町11-69)
 祇園寺の前身といった形の天徳寺住職となった僧・心越の墓石を納めた廟(びょう)を表示する石柱です。これは、心越から製法を伝授された北斗香という目薬を現在も製造しているという、老舗・岩間東華堂が奉納したようです。

 

石工事(大井神社 飯富町3475)
 大井神社の建つ高台の一段下に、弁才天を祀る巽神社があります。この石垣など、石工事一式は、和歌山、川崎、横浜在住の5人が奉納したようです。

 

絵馬(笠原子安神社 笠原町992)
 絵馬は、自分の願いや、その成就のお礼として奉納するようです。それはまた、寺社の装飾物としても機能していたようですが、現在はどこも、外にかけられたものは風雨による劣化が目立つようです。写真の絵馬も、大正4年に奉納されたようですが、描かれた絵はよく見えなくなってきています。下部には女性の名前がたくさん並んでいます。

水戸の寺社への奉納物(1)

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水戸の椅子(12)

2021-11-12 19:23:31 | 水戸

 今回も長椅子を集めてみました。

 

本町(さくらさくら(本町1-9-2)前歩道)
 令和2年度の浜田小学校卒業生と父親ボランティアがつくったらしい木造長椅子がいくつか置かれていました。こうした手作り感はこれから街のあちこちで見られるようになっていくような気がします。

 

偕楽園(常磐町1-3-3)
 見晴亭という偕楽園東門近くの土産物店脇にありました。平成20年県産材ベンチのデザインコンペで最優秀になった、ルーフクラフトという家具工房の作品だそうです。木目と曲線がきれいな椅子です。

 

偕楽園公園センター(見川1-1251)
 偕楽園公園センター内に置かれた、縁台を現代風にしたような、竹を座板としてはった長椅子がありました。

 

水戸市役所(中央1-4-1)
 面取りをした、不定型な長椅子です。こんな形もあるんだなと思いながら見てきました。

 

元吉田町一里塚西第1児童公園(元吉田町1285-13 36°20'31.6"N 140°28'08.9"Eあたり)
 材木型コンクリート製の長椅子のようです。

水戸の椅子(11)

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水戸の茶室

2021-11-11 19:10:25 | 水戸

 茶室を見て回って、いい形で生活の中にお茶の習慣も残ってくれないかなと思いました。何陋庵以外、中を見たことがありませんので、以下は資料を見ただけのご紹介です。

 

何陋庵(かろうあん 好文亭 常磐町1-3-3)
 何陋庵は、好文亭の一施設として徳川斉昭がつくらせた茶室だそうです。斉昭の考えが相当取り入れられたのでしょうが、設計は町奉行・原魯斎と小姓頭取・大古敬恵だったそうです。全体的に質朴なつくりで、にじり口(茶室特有の小さな出入口)がなくて、織部口という、障子二枚がたてつけられた入口になっています。床柱は、薩摩の島津斉彬から贈られたというつつじの古木が使われたそうです。舟で偕楽園の南崖下にきて、坂を登って茶室に入るという趣向だったようです。

 

得月亭(徳川ミュージアム 見川1-1215-1)
 常陽銀行の初代頭取となった亀山甚が、江戸時代にあった得月亭という茶室を新しく建てたそうです。その後、その子の亀山利彦が公益財団法人・徳川ミュージアムの前身・財団法人・水府明徳会の理事を長く務めたことから、遺族が徳川ミュージアムに寄贈したものが庭園にある茶室だそうです。この地は、徳川光圀が別荘・高枕亭を建て、茶の木を植え、斉昭が御茶園として茶を植えた地だそうです。

 

延年楼(和田氏住宅 自由が丘)
 天保6年(1835)に大高家が建てた茶室で、延年は菊の異名、命名は宍戸(ししど)藩7代藩主・松平頼筠(よりかた)といわれているそうです。大高家は宍戸藩の年貢米江戸搬送を行っていたそうです。大高家は馬口労町で呉服太物を商い、町名主や町年寄を代々つとめた家で、茶室を建てたのは6代織右衛門守善だそうです。茶室は、かつては大高家の庭内にあった神力宇賀大妙神(末広町2-1-40)の近くに建てられていたそうですが、今は自由が丘の和田家の庭にあるそうです。水戸で現存する一番古い茶室だそうです。私はこの茶室の外見も見たことはありません。

 

不言亭(常照寺 元吉田町2723)
 斉昭が命名したという不言亭という茶室が常照寺にあります。天保4年(1833)に斉昭が来寺したとき、茶室に名前がないのを惜しんで、不言亭という名前を菓子盆の裏に隷書で記して寺に残したそうです。相当直してしまっているそうですが、現役のようです。見るには住職の許可を得て下さい。

 

無庵(茨城県立歴史館 緑町2-1-15)
 にじり口のある、本来の茶室様式で建てられているようですが、四畳半の茶室以外にも炉がもう1つきられているようなので、人数の多い茶席等にも対応できるようになっているようです。 「有無を超えた絶対的なものを,この茶室の活用を通して得ることを願って」つけられた名前だそうです。

 

双宜庵(そうぎあん 茨城県立歴史館 緑町2-1-15)
 炉をきった8畳の部屋もあるようですが、立礼(りゅうれい)式を中心にした茶室だそうです。筑波山が双宜の霊山といわれたことと、つくば市で開催された科学万博の「科学と人間の調和」という理念からつけられた名前だそうで、いばらきパビリオンにつくられた茶室を移したのだそうです。無庵とともにそれほど古くない茶室のようですが、外から見たところでは古さを感じさせるようになってきているようです。

 

安神車写シ銅造移動式茶室(東照宮 宮町2-5-13)
 平成29年に水戸芸術館で開催された藤森照信展に、安神車から発想を得た「せん茶」という名前で展示された茶室だそうです。それが、藤森輝信から東照宮に寄贈され、覆い堂の中に保存されたようです。「安神車写シ銅造(あかがね)移動式茶室」という正式名称が付けられて、東照宮の宝物になったようです。

水戸のお茶(3)

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