卓袱台の脚

団塊世代の出発点は、狭いながらも楽しい我が家、家族が卓袱台を囲んでの食事から始まったと思います。気ままな随想を!

2022年 軽トラの言葉

2022年01月26日 11時01分07秒 | 日記・エッセイ・コラム

2022年 軽トラの言葉

 

 

いつだったか、行きつけのホームセンターで、横に止まった軽トラックの運転席扉に書かれていた言葉が面白かったのです。「此の世に 大工がいなければ 神も仏も雨ざらし」、なるほど、問答無用の ゛自明の理 ゛と感心しました。大工さんの車だったのでしょう? 仕事に対する「誇り」と言ったものが、ぷんぷん臭ってくるような感じでした。

 

 

(軽トラの扉に書かれていた言葉を写真撮影)

 

 

「今時は、パソコンの検索サイトを使って調べものを探して、卒論を書き上げる」と10数年前に言われたこともありました。現在の検索エンジンは、声の話し言葉で問い合わせ、音声で結果を伝えるくらいに、素晴らしく進化しました。Aも便利に使わせてもらっております。

 

◯ 「岩手県内に残された「南部木挽唄」」

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山は高山 樹は大木よ 親方繁盛 鳴り響く

わたしゃ南部の 奥山育ち 朝は早よから 木挽唄

木挽稼業は 鼠の性(しょう)だ いつも挽かなきゃ 食べられぬ

大工木挽が この世に無がら 神も仏も 雨ざらし

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大正時代末頃に至るまで、木挽きの職人は山の小屋で原木を挽いていたという。大工木挽きは、鼠のように休みなく働いている。そうしなければ、食べていけない。でも、大工木挽きがいなかったら、「神も仏も雨ざらし」じゃないかと、仕事への自負を覗かせている。民謡なので軟らかな表現でのどかに歌われるが、高邁な観念や宗教への皮肉も込めている。仕事への誇りも謡われている。

(豊田企画制作舎「とよだもとゆき」のホームページ 2010.7.6「スローワーク論」の中より)

 

 

◯ 「南部木挽き唄」(岩手)

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木挽き いたよだ あの沢奥に 今朝も やすりの 音がする

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大正の末頃まで、木挽き職人は山に小屋をかけ、木こりが切り出した原木を板に挽いていた。職人は、その多くが農閑期を利用した農民の副業(地元木挽き)であった。特に南部(岩手と秋田・青森県の一部)出身の南部木挽きは腕がよく、樺太(からふと)から近畿地方まで、各地の山に招かれて、次第に木挽きを専業とする渡り木挽きとなった。木挽き唄は、職人の孤独感をまぎらわせたり、単調な作業に飽きないように、鋸の手に合わせて唄う。南部木挽きが唄を全国各地に持ち回ったため、各地の木挽き唄は大同小異である。中国以西は広島木挽きの勢力下のため、唄も広島木挽きの唄となっている。曲はともに甚句が変化したもの。

(日本の民謡 曲目解説〈岩手県〉 羽柴重見 古館千枝)

 

岩手県内の同じ木挽き唄でも唄われる内容や節回しにより多少違うようです? 民謡に見識をお持ちの方は、お分かりになるのでしょうが、Aは全く以ての門外漢、思わない所から面白いことを教えてもらいました。


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