卓袱台の脚

団塊世代の出発点は、狭いながらも楽しい我が家、家族が卓袱台を囲んでの食事から始まったと思います。気ままな随想を!

2022年 STRONGLIGHTの生い立ち

2022年02月03日 11時08分10秒 | 自転車

2022年 STRONGLIGHTの生い立ち

 

 

後にストロングライトを支配下に収めるハウトマンの創業者アキレ・ハウトマンは、1906年サンテティエンヌの近くにクランクセット・ペダルの工場を創業、当初はウィリアムズのライセンスに基づくクランクを製造していました。ライセンス生産を続ける中で技術・開発を進め、1920年にはある程度の成長を遂げました。

同じ頃の1920年代サンテティエンヌ北方のボエンシュルリニョンのベロ・ペランは「ストロング」ブランドのスチールクランクを製造していました。当時、メーカー各社はアルミクランクの開発にしのぎを削って、破損問題で苦慮していました。1931年ルイ・ベロは硬膜クランクセット(dural crank)開発に成功、従来のスチールクランクと区別するため「ストロングライト」と名付けられ、5visPCD50.4mmのアタッチメント共に販売、500gの軽量化で評判になりました。年間20万個以上のチェーンリング・ヘッドセット・BBを生産しました。また、互換性のあるチェーンリングを求め、他メーカーにフィールドを開放、ローザ、T.A.が製造し始めました。

アルミのチェーンリングのフィールド開放に伴って、当時「Stiff」ブランドのスチールクランクを製造していたハウトマンは、スチールクランクにアルミチェーンリングをセットした「Stifflight」を発売、成功しました。その後会社は息子達に引き継がれ、第二次世界大戦を迎える事となります。

1949年ベロ・ペランは49Dクランクセットを発表、全世界で人気を博したこのクランクは1980年代まで製造され、今なお自転車愛好家の間でアッセンブルされる不朽のクランクとなりました。

1970年代初め「Solida」ブランドで活動していたハウトマンは、製造機器の開発に多大な投資をし失敗したペラン(ストロングライト)を支配下に置きました。その後、ハウトマンは吸収・合併、事業拡大の後、欧州第2位のクランク製造業社に成長しました。しかし、日本を含むアジアとの競争に後れを取り、ハウトマン・ストロングライトは、1993年強制清算となりました。以後、名前を残したストロングライトは、紆余曲折を経て今日に至ります。

 

 

(ハウトマンのブランド ゛SOLIDA゛)

 

 

(ハウトマンのSOLIDA スチールSクランクセット)

 

 

(STRONGLIGHT 49DクランクとBB 50Tギャ板)

 

 

(STRONGLIGHT V4 COMPETITION ヘッドセット)


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