早期リタイア&移住生活

早期退職し信州へ移住しました。呑んで、走って、耕して、作って、野鳥を眺めて、自然を楽しむ日常を綴ります。

言葉の粋を感じる時

2018-06-27 | 早期リタイア
農業研修に行くようになって、農業用語に触れる機会が増えました。
農業用語といっても、土地の広さの単位から、肥料の話、作業(摘果、摘心、芽かき、土寄せ・・)の話、枝の呼び方(結果枝、果台枝・・)等々。そもそも防除とはなんぞや(病害虫の予防と駆除)管理機とはなんぞや(野菜用の畝をたてたり、溝を掘ったりする機械)というくらい農業とは無縁の生活を送ってきましたので、この歳になって新しいことだらけで結構面白いです。

どんな種でも植えたら水をまくのが普通だと思っていたら、ジャガイモは種芋を植付けて水は不要、どちらかというと乾燥気味で育てないと腐ってしまうのだそうです。あげなくていいのは、無精な私としては願ったり叶ったりですが、水が必要な野菜もいるので、ちゃんと野菜の特徴を理解しておかないと収穫まで行きつかないかもしれません。

ところで、先日「麦秋」という言葉が出てきました。ちょうど今、麦の穂が金色に輝く季節、「秋」といいつつ初夏の季語なのだそうです。もう一つ「短日」これは、夏至から冬至に向けての、昼の長さがだんだん短くなっていく期間を指すらしいです。そして、豆は短日にならないと花が咲かない=実がならないのだそうで、いくら早く種をまいても、短日前は葉が茂るだけなのだそうです。だから、短日になるまでにどのくらい植物を育てておけばいいのか、ということを農家の方は考えて植えているとのこと。豆は何も意識していないのでしょうが、これもなかなか興味深い現象だと思います。

その短日になる夏至に研修先で大豆をまきました。2日後に自宅でも植えて、鳥に種を持っていかれないように網でガードしました。農場で使った種まき機の名前は「ごんべえ」。ごんべが種まきゃカラスがほじく・・・らないことを祈ります。
麦秋にせよ短日にせよ、季節を感じながら過ごせることに感謝しつつ、今日は誰に水をあげようか、そろそろ追肥しようか、などと考えるのも楽しいものです。

失語症?・・・ただの物忘れ?

2018-05-17 | 早期リタイア
早期リタイアして専業主婦、といいつつ、自分だけ移住したので一人暮らし。つまり、何もなければ一日誰とも喋らない生活が続きます。いつかテレビで専業主婦や家事手伝いの引きこもりの話題を取り上げていましたが、確かに、下手すると引きこもりになりかねないです。いい季節になって一日庭を眺めているとそれだけで時間が過ぎていきますから。

とはいえ、買い物には行きますからレジで5単語くらいは会話します。そして、庭いじりをしている時、散歩している近所の人と雑談します。ただ、それは「庭できてきましたね~」とか「あったかくなりましたね~」とか小学生までに覚えた単語で会話できるレベルです。つまり、英語だったら英検5級で喋れるレベルかもしれません。

会社で働いていた頃は、新しく出てくるサービスをお客様に説明しなければならなかったり、言葉を選んで決裁文書を作ったり、人の作った決裁文書をチェックしたり、ということを日々行っていたので語彙は毎日増殖していたと思います。しかし、スローライフになった今、語彙・・・減ることはあっても増えることはなさそうです。

先日、会社の後輩と飲んでいたら1年前まで使っていたサービス名や会社名が全く出てこない。確かに、そのサービスはその会社で働いていたから使うもので日常生活では全く使いません。もちろん、会社を辞めてからその言葉を使ったことは一度もありません。とはいえ、ここまでさっぱり忘れてしまうとは。。。専門用語が多いのは確かですが、いいのだろうか、これで、と心配になりました。

まあ「なんだっけなんだっけ」とサービス名を思い出しているときに、私の頭の中ではリスが走り回る、という素敵な光景が見えているくらいなので、忘れてもいい言葉は忘れよう、なんて思ったりもするのでした。

今も裏の林の中ではリスが走り回っています。

プランド・ハップンスタンスよりも・・・

2018-05-11 | 早期リタイア
先日、高校時代の同級生と同じ高校の同級生がオーナーシェフを務めるイタリアンでランチをしました。
正直なところ、そのシェフとは高校時代に同じクラスになったこともなく、卒業アルバムをみて初めて同級生と認識したくらいの縁だったのですが、ここにきて再会(初対面?)するのも面白いものです。

たまプラーザ駅から徒歩3分くらいの小さなお店は繁盛していて、ランチの予約も11時半はいっぱいで13時半からの遅めのランチにせざるを得なかったくらいです(身内?としては嬉しいこと)。リーズナブルなので近所のOLさんとかがランチで来るのかもしれません。たまプラ在住の友人に聞くと「たまプラで一番のお気に入り」とも言っていました。

遅いランチだったので私たちが食べ終わる頃にはお客様は殆どいなくてシェフとも少し話ができました。初対面だけど、すぐに友達みたいに喋れるのはやっぱり根っこが同じだからでしょうか。彼は高校を卒業してから専門学校に行き、そのまま色んなお店で修業を積んで40歳になった時に自分の店を持ったのだそうです。そして9年、入れ替わりの激しい飲食業をちゃんと続けているというのは、食材にもこだわっている上にやっぱり腕がいいからでしょうね。
スタッフも巣立っていくから新人クンの指導もしなきゃいけないし、サラリーマンと違って一日14時間くらい働くのが普通なんだよ、そして小さなお店でも始めるとなるとうん千万とかかかっちゃうから簡単じゃないよ、とさらっと言っていました。

実は最近、彼の他にも脱サラしてバーをやってる友達とか、お父さんのあとを継いで陶芸家になった友達とか、救命救急のヘリのパイロットをやっている友達とか、普通のサラリーマンではなく夢をかなえてる友人と話す機会が多くなり、その度に、中学・高校時代からちゃんと目標に向かって走っていたんだな、ということを感じます。自分は、と言えば、とにかく受験を早く終わらせて大学生になって遊びたかった、という今思えばもったいない高校時代を送っていたことになります。そして何がやりたいかわからないまま社会人になってしまったのかもしれません。

そんな自分の生き方は「プランド・ハップンスタンス」だ、と思って納得していましたが、本当にそれでよかったのかは・・・死ぬときにならないと分かりませんね。そんな私が珍しく「自分で決めた」早期リタイアですから何か形にしていかねばと思うのでした。いずれにせよ、若いころから何か目標をもって生きている友達を尊敬する今日この頃です。


※プランド・ハップンスタンス:キャリアは偶然の出来事、予期せぬ出来事に対し、最善を尽くし対応することを積み重ねることで形成されるというもの(コトバンクより)

ある日突然訪れた・・テニス肘と五十肩

2018-04-13 | 早期リタイア
40を過ぎたころから、怪我が治りにくくなったなあとは思っていたのですが、とうとう「テニス肘」とやらになってしまいました。正式名称は「上腕骨外側上顆炎」。中年以降(ここが重要かも)のテニス愛好家に生じやすいので「テニス肘」と呼ばれているようですが、年齢とともに「腱」が痛んで発症するものだそうです。だから、テニスなんか20年以上もやっていない私でも老化現象として「テニス肘」になってもおかしくないわけですね。

突然なったわけではなく今年の南岸低気圧の雪かきがとどめを刺したようで、雪かきの後、右腕の軟骨あたりが痛くなりました。箒での掃き掃除が一番痛い!しかも専業主婦として家の前の掃除は毎日行うことなのでこれができないのは非常に不便です。左手でやればいいのですが、左手って意外に細かいことができません。左手で歯磨きをしたら虫歯になりそうな気がしました。でも、何があるかわからないので左手も鍛えた方がいいなあと改めて思いました。
1ヶ月ほどサポーターを付けて様子を見ましたが改善しなかったので整形外科へ。予想通りの「テニス肘」の診察。エコーで見ると「腱」が痛んでいるのが見えました。ちなみに、整形外科ってお決まりでレントゲンもとりますが、こんな症状の場合、レントゲンってとらなくていいんじゃないかと思うんですが、撮らないとダメって決まりあるんでしょうか?

それはさておき、その整形外科医の治療法としては漢方薬を薦められました。まずは自己回復能力の増強ですかね。
処方されたのは「桂枝茯苓丸料加薏苡仁(けいしぶくりょうがんかよくいにん)」。比較的体力がある人向けで血の巡りが悪い人の症状を改善するものらしく、肩こりや頭重なども対象ですが、肌トラブルの改善にも用いられるようです。私は10年くらい前から「オトナニキビ」の対処のため「十味敗毒湯(ジュウミバイドクトウ)」というのをのんでいましたが、漢方薬も複数のむと影響することがあるので、できれば今回のだけにしてみた方がいいですね、ということで、今はケイシブ・・のみをのんでいます。



1ヶ月半ほど経ちましたが、結果的には一進一退。結局は右手を使わないことは難しいので、なかなか完治しないというのが現状です。
そんなこんなで痛い右腕をかばいながら庭仕事なんてしていたのですが、2日前、急に(これは本当に急に!)右腕の付け根の前側が痛くなりました。腕を上げることはできますが強力な?違和感があります。これは五十肩の始まりでしょうか・・・。次の診療時にも治ってなかったら聞いてみよっと。きっと「これも老化現象ですね」と言われるに違いありません。


#カテゴリが「早期リタイア」でいいのかどうか悩みましたが、まあリタイアしてデスクワークでなくなったことも一つの要因かな、と。

ハローワーク卒業

2018-04-10 | 早期リタイア
ハローワーク卒業、といっても就職したわけではなく150日分の基本手当の受給が完了しただけですが、まあ定期的なハローワーク詣では終わりました。ということで、とうとう本当に無収入になっちゃったわけですね。

ハローワークで情報検索をしていると、まあ本当に仕事のないこと。今住んでいるところでは、フルタイムで20万、時給で1000円を超える検索をするとガクンと数が減ります。東京ならばもっと色々選択肢があるのでしょうが、地方の現実とはこういうものなんだな、と実感しました。求人は増えていると言ってもやはり数字のマジックがあり、一定の収入を得ようとすると看護・介護の専門職がリストアップされてしまいます。特に地方はその傾向が強いのだろうと思います。
私がリタイア前に勤めていた会社で働いていた子は派遣社員でも時給1600円くらいもらっていた、と言っていました。なのに、こちらではその半分くらいの額の求人が多数。東京感覚の視点で見ていてはいつまでも働く気にはならないな、と思いました。収入を確保する必要があるなら、元の会社に勤めながら、地方勤務になるのが一番賢かったかもしれません。

求人情報の数字を見ると、働くとしても扶養の範囲内で、と思う人の気持ちはよーくわかります。2018年度の年金保険料は16,340円、国保の保険料は(人によりますが)前年度収入に応じて結構な額を負担することになります。サラリーマン生活だと気にもしていなかった社会保険料が目に見えるのは重要なことですが、目に見えなくても気にならないサラリーマンで一生を過ごせるならば、それはそれで幸せなのかも、と思ったりしました。

昔々から、働く場所として東京を選んできた日本人の行動は当然のことだったのですね。ハローワークで情報収集しているとやっぱり働くなら東京か・・・と思ってしまいますが、移住してきたのだから本末転倒。

私はここだからできることをやって行こうとソワソワしているところです。