同じ白い花

2008-03-12 17:44:38 | エッセイ風
 例えば、ある仕事先に行くことになって、ちょっと困った問題が発生したとします。
 責任者のような方に、相談したとします。
 「この前の話しなんだけどさ」
 と相談をした方が、後日アドバイスをしてくれた。
 けれどこの時、驚くべき事実も私に突きつけられたりする。

 私の相談にどう答えてあげていいのか悩んだので、他の人に相談したらしいのです。
 しかもその相談した相手と言うのが、私からしたら距離を置きたいと思っている人だったりして・・・。

 この時点で、私はここの人間関係相関図が良く理解できていなかった。だから責任者と言えど、実は相談する相手を最初から間違えていた。

 それは私のミスでしょう。

 しかし、相談して、それを更に他の人に、仲がいいと言う理由でバラされ、その事実まで最終的に私にぶっちゃけられるとは正直想像してなかった。
 
 何でそこまで私に言うかな・・・。
 それが正直な気持ちだった。
 
 別に、私が距離を置きたいと思っていた人が、それを聞いたからって意地悪する訳じゃないし、むしろ、そんなことで悩んでるんだって、親身になって世話をしてくれたり気を使ってくれたりするんだけど。
 
 私からすれば、その人が知ると思ってなかったから、弱味を握られてるような感じがどうしてもついて回る。

 嫌いってことじゃないの。
 
 例えば、白い花を見て
 「素朴で可愛い」って思うか
 「地味で淋しい」って思うか
 そういう感覚の違いがその人たちとの間にあっただけ。
 
 そして、知らない所で名前を出されて話されてたって思いがけなさも尾を引いてると言えば、思いっきり引いた。
 
 誰が悪いって話じゃない。
 感覚が違うだけ。
 
 今でも誰かに何か相談した時「石川さんから相談されたんだけどさ」って私からすると思いがけない人に、また知らない間にバラされているんじゃないかって不安に思う時もある。

 そう思う自分も少し悲しい・・・。
 
 でも、それもこれもひっくるめて、面白かったなって思える日も来る。
 思い出となったから美しくなったのか。

 でも私にもそういう感覚の違う人たちと仲良くしたい気持ちがなかった訳じゃない。だって元々は親切から出た話だった筈。
 違う感覚の持ち主って魅力的だったりするでしょう。

 でも1度掛け違えたボタンは戻すのが大変って言うか。そのきっかけの見つけ方が判らない。

 もう1歩心を開いていたなら、きっと私の物の見方も広がっていた。
 面白い世界が待っていたかもしれない。
 
 違うからこそ面白い。そう思って笑えたら。

 その人達だってその当時、色んなことに悩んでいた。私がもう1歩踏み込んで付き合っていたら、私もその人達も、今、違う未来を生きていたかも知れない。

 ボタンの掛け間違いを私から変えていくことが出来たら。
 1歩踏み出すのは私しかいないんだよね。
 
 今なら頑張って半歩くらいは踏み出せるだろうか・・・踏み出せる私でありたい。


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