ザルに流されて

2008-06-23 10:57:55 | エッセイ風
 一口に進化と言っても様々な形がある。
 例えば現代文明とマヤ文明どちらが賢くてどちらが劣っているということじゃないかもしれない。

 進化が違っただけ。それで出る答えが変った。マヤ文明を生きた人には当たり前のことが現代文明を生きる人には謎になる。
 またマヤ文明を生きる人には現代文明は大いなる謎を孕むかも知れない。

 あるスーパー行ったら野菜をザル売りしてた。
 何故?
 特に安いというわけでもなく…。

 何故にザル?
 奇を照らった1つの商法だろうか。

 化粧品でも缶に入れてみたりチューブにしてみたり、形を変えたものって目新しい気がして売れたりする。中身は別に変ってなくても。

 エコ?
 あり気。あり気な気がしたら凄い賢いことをされてる気がした。
 エコなら素晴らしいことじゃない。
 
 エコを借りた目先を変える商法なら、ちょっと許せない気もするけど。
 
 どっちだろう、なんだろう、考えたらいよいよ判らなくなって。
 とりあえず目新しい物の方に惹かれていく。

 性だ、人の性である。
 
 そしてこんな結論が出る。
 ザルなら袋に入ってないわけじゃない。

 エコじゃーん。

 それでザルを持ってレジに行ってお会計したんだけど。目の前でレジの順番を待っている人のかごの中身がチラッと見えた。同じ野菜なんだけど、あっちは小売り用にビニール袋に入ってるのね。

 確かあっちの方が2円安かった気が。
 勿論、産地が違う野菜の発育具合が違う、そういう一見同じ野菜でも違いはあるかもしれない。

 だったら2円安い方が良かったのでは?
 「?」ハテナマークが乱舞するままレジに向かった。
 
 あれ?この日2度目のあれ?
 レジのお姉さんはビニール袋に入れてくれたよね。
 それだったら小売り状態と変らない。エコじゃない。単にレジでお姉さんの作業が増えてるだけ。

 今どき確かに裸のまま商品を渡すってなしなのかもしれない。

 昔は小売りしてるものの方が高級に見えた。ザルに入って店頭に並んでいるよりワンランク上の生活ができるような気がした頃もあった。まだまだ昭和の貧しい頃の話だ。
 それが時代が変わるとザルが目新しく見えてしまう。何か大きな魅力があるような気がしてまう。
 エコって今っぽい理由もあるしね。

 長い時間をかけて変わってきた価値観があっという間に変わるということはないんだろう。

 だけど、マヤ文明が今とは違う経緯を通りながらも発展したように、現代文明であってもある視点が変れば価値観はひっくり返ることもあるかもしれない。

 ひっくり返ってもなお、発展していく原動力がどこかにあるのかもしれない。

 ザルに流されてなんか訳が判らなくなってしまったけど。
 ザルは流されるものでなく、引っ掛かるものだからね。

 そうやって引っ掛かりながら新しい何かが生まれるといいな。


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