最近、つか氏の「飛龍伝」の映像を見ながら勇気をもらうことがある。
たまに「幕末純情伝」だったりするけど。
未だつか作品はいろいろな形で上演されている。
しかし私にはこの意味は判らない。
かつて様々な女優を使っての「飛龍伝」
上の写真はダブルス2003の「幕末純情伝」だったかな?
考えれば考えるほど、つか不在のつか作品は成立しないと思う。
つかさんの本って独特で、これは真似ができるものじゃないし、真似することに何の意味があるか判らない。勉強としてするならいいが、それ以上なら…。
真似は真似でありオリジナルを越えることはない。
ただ、好き嫌いというのがあってつかさん以外の演出の方がいいという方もいると思う。
けれどつかさんがいらした頃は、たいがい他の有名な演出家が演出するにあたっても、1度は何か言ってたと思うよ?
劇団員が演出をする場合は必ず1度はチェックが入ってる。
ご自身の作品であれば、100%人任せはやはりきついと思う。
作品はわが子だ。わが子を100%預けることに躊躇を覚えない親はいないでしょう。
私の中ではもうつか作品はかつてのもので終わっている。
それでいい。
これは私の気持なので、他の方に押しつけるつもりはありませんが…。
私の中では永遠のものであり、原点回避して考えたいときはここへ戻る。
今はそういう存在である。