大阪水曜ほっと集談会一世です。
死ぬのが怖い怖い病の私は、昨夜夜中まで眠れなかった。
というのは、昨日知人の訃報を知らせる電話があったのである。
ちょうど1週間前に忘年会で談笑していた知人であった。
信じられない、嘘だろうという気持ちであった。
私と同じ61歳であった。
心がざわざわと波打つのを感じた。
最近では、このようなことはめずらしくはない。
人間はいつかは死ぬと分かっていても、割り切れる物ではない。
さて森田博士の死生観とはいかなるものであったのだろうか?
※自覚と悟りへの道にはこのような記述がある。
まず私自身の自覚について、一例をあげてみれば、私にとっては死ということは、いかなる場合、いかなる条件にも、常に必ず絶対的に恐ろしいものである。
私はたとえ私が百二十五歳まで生きたとしても、その時に死が恐ろしくなくなることは決してないということを予言することができる。
さらに森田博士はこのように言われている。
「死ぬのは恐ろしい。生きるのは苦しい。」言い換えれば、「死を恐れないで人生の思うままの目的を楽々とし遂げたい」ということになる。
これが神経質の特徴であって、無理にも、自然に反抗しようとする態度になり、死は当然恐ろしい。
大なる希望には、大なる苦痛・困難があると、きわめて簡単なことを覚悟しさえすれば、それだけで神経質の症状は、強迫観念でもなんでもすべて消失するのである。
すでに神経質の全治した人には、これが簡単に理解できるが、まだ治らない人はまったく嘘のような法螺のような話である。
2023.12.15 一世