
大阪水曜ほっと集談会一世です。
今年は骨折など加齢による事故や痛みに苦しみました。
ところで、クリスマスイブに東洋の茶の湯の話を投稿するヒネクレの私です。
以前このブログで茶の湯の世界で使われるひび割れた茶碗という逸話をご紹介させていただいたことがあります。
千利休が時の権力者であった豊臣秀吉がつまらんと言って投げ捨てた竹の花器に一輪の花を活けて、
これも一服と言うシーンを大河ドラマで見たことがあります。
一服には心身にすべてを受け入れるという意味があるという説もあります。
史実かどうかはわかりませんが、妙に心に残りました。
最近その思いを更に強くしております。
六十代はひび割れた茶碗で生きる。
今あるものを最大限つなぎ合わせて生かし、それも一服とみなす。
これは森田療法の教えにも通じるのではないかと私は勝手に思っています。
完全な自分でないと愛されない。
完全な自分ではないと評価されない。
長らく私たちはそのように自分をいじめ否定し続けてきました。
でも完全なものなど自然界には存在しないのです。
自然界の一員である私たち人間も同様なのです。
聞きかじりで忘れましたが数学か、物理学の世界には完全な直線というものが存在しないと聞いたことがあります。
私は森田博士が神経質性格というものを変えるのではなく、
最大限発揮する方向に導かれたことに感謝するとともに、
東洋の文化的な背景を感じるのです。
独断ですが近年西洋の薬物療法や認知行動療法に疲れて、ある種の行き詰まりを感じている人々のため息のようなものを感じます。
ご存知のように森田療法の基本概念はあるがままです。
不完全な自分、未熟な自分、あらゆる感情に対して森田療法は絶対服従を説きます。
それは森田博士自らが、語られている通り、最も簡単でラクな生き方だと思う一世です。
2024.12.24 一世